政治・経済・社会
(財)さわやか福祉財団ホームページへ
 
定期連載 ビジネス戦記
更新日:2005年9月16日
検察から老人介護に転身 ボランティア切符普及に
亡き母の心意気引き継ぐ

 「鬼のロッキード検事が福祉の道へ」。昨年十一月、最高検察庁検事を最後に法務、検察界を退いたことで、世間の方々から珍しがられた。鬼が突如、福に変身したようで不思議だったのだろうか。
 辞める直前に、自民党の総裁候補だったある国会議員と顔を合わせたら「キミは頭が変になったのか」と手荒いあいさつをいただいた。親友からも「また、一から苦労するなんてマゾだな」と同情された。いろんな解釈があろうが、心の中で熟してきた夢に向かって、ともかくも一歩を踏み出した。高齢者を介護するための全国的な制度を作る−これが私の夢なのだ。

急速に増える高齢者

 いま、寝かされたままの高齢者と痴ほう症の老人の数は合わせて百万人を超える。家族で十分な介護ができず、施設に入れようにも何年も待たされる現実がある。やっと入れたころには、家族は疲れはて見舞う気力もない。
 今後の二十年間は、世界に類を見ないスピードで日本の高齢化が進み、介護や援助を要する高齢者が数百万人近くになるから、いよいよ深刻だ。中高年の問題にとどまらず、それを支える若者たちの生活や生き方にもかかわってくる。
 しかし、高齢者の介護は、たとえ行政がおカネをかけて施設を増やしても、それだけでは解決できない。相手の立場に立ち、心のこもった中身にしなければならない。質の高い福祉を実現するには、ボランティアや地域社会の力が重要になる。
 さいわいなことに、わたしは三十年間余り、法律や制度作りに携わってきた。この経験は、官民が一体となった、介護の全国的なネットワーク、制度作りに生かせると思う。
 具体例のひとつは「ボランティア切符」の普及だ。東京都下でも約二十の民間団体がこの制度を採用している。もし、いま十時間の介護をすると、将来自分が介護を必要とするようになったとき、同じ時間だけ介護を受けられる切符をもらえる。いわば「介護の預金」である。

欠かせぬ企業の援助

 この切符を全国どこでも使えるようにし、親や祖父母に譲り渡せるようにできないものか。切符が普及すれば、だれもが自分自身や肉親をいたわる気持ちで介護や奉仕に参加できる。昨年四月に京都に住む母を亡くしたが、仕事でなかなか見舞いに行けなかった苦い経験がある。ボランティア切符が普及していれば、と考えるのはわたしだけではないだろう。
 この制度作りには、コンピューター網への投資だけでも最終的には二百億円かかる。母体となる財団も必要だから、ボランティア団体だけでなく企業の援助が欠かせない。
 こんな制度が一朝一夕にできるとは思わない。自分の寿命を考え、数年で財団を作り、二十年間やれば少しは格好がつけられるかもしれない。そんな目安でこの数ヶ月間は厚生省、労働省や福祉団体、経団連、企業などへ協力をお願いに回っている。この春に、有識者や福祉関係者による研究会を作り、基本的な点から詰めてもらうつもりだ。
 ところが、世間が珍しがってくれたおかげで、スタート早々強力な支援をいただいている。まず、開業医の全国連合会で医療問題に取り組んできた笠尾良三さんが、「医療も課題は多いが、高齢者の介護問題はより深刻だ」とそちらを辞めて行動をともにしてくれた。事務所の人員はわたしを含め四人だが、活動を支える約四百人の協力会もできた。

福祉の仕事に追い風

 制度作りの一助として、来春に月刊の情報誌を発行する計画だが、これには雑誌の編集者がアドバイスをして下さっている。この情報誌は、高齢者が書店まで出向いて買う元気がないことも考えて、保険会社などを通じて直接届けたい。保険会社の社長、専務さんら何人かにお会いし、買い取りと頒布をお願いした。雑誌の見本もないのにおカネを出してくれという無茶な話だったが、ここでもおおむねご理解をいただけた。
 福祉の仕事をスタートさせてみて感じるのは、「追い風」が吹いているな、ということだ。この風をとらえて走るしかない。
 ときには計画の問題点ばかりをみつけ、「これではダメです」と評論する人に出会い、むなしくなることもある。また、わたしの名をかたった変な文書が関係先に出回り、迷惑したこともある。しかし、そんなことはどの世界でもあることだ。
 「死ぬために生きるにあらず冬薔薇(そうび)」。母が残した一句の心意気を引きつぎ、難しい道でも最後まで歩もうと心に決めている。(談)

(朝日新聞掲載/1992年4月4日)
バックナンバー一覧へ戻る
  このページの先頭へ
堀田ドットネット サイトマップ トップページへ