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定期連載 挑戦−幸福づくり
更新日:2005年9月16日
居場所とは?

 私たちは、地域に、子どもの居場所をつくり、そこにサラリーマンをはじめいろんな人たちが集まり、一緒に楽しめるようにしたいと考えている。
 昔は、地域の道や神社や放課後の校庭や森や山や川原が、すべて子どもたちの居場所であった。ランドセルを放り出すと、近所の子どもたちの集まる場所へ一目散に出かけ、鬼ごっこをしたりドッジボールをしたり探検したり虫とり・花摘みをしたりおしゃべりをしたりと、遊びは多彩であり、わが家を中心に居場所は小学校の校庭外まで広がっていた。教師も大人たちも、時折通る車も、子どもたちが自由に飛びまわることを認め、優先していた。
 そういう遊びの中で、年上や年下の者との接し方を覚え、どんな子も受け入れて認め、みんなが楽しめる遊び方を工夫した。わがまま過ぎる子は泣かされたが、誰かがすぐ輪に戻して受け入れ、その過程でひどいわがままは矯正されていった。引っ込み思案の子も、役割をもらって、いきいきと参加するようになった。子どもたちの心と身体の成長には、そういう場が絶対に必要である。それ抜きで親や教師が仕切る教育が、うまくいく筈がない。
 そして、そういう、自分も人も生かす交わりの場は、子どもだけでなく、中年にも高齢者にも必要である。人は、自分が安らげる居場所だけでなく、他者も安らいで自然に交われる場所を求める本能を持っているからである。それによって、人の心はいきいきとよみがえり、人から認められることによって自分の存在意義を確認し、日々生きる喜びを感じて元気になれる。
 現代社会は所有権、管理権の意識を極限まで発達させたうえ、道路も車に明け渡すことにより、自然な居場所を喪失させた。そして、子どもも大人も、淋しくなった。
 科学と文明の発達によって、人が不幸になるのは、おかしい。子どものためにも高齢者のためにも、早く新しい居場所をつく出したい。その気になれば、ほとんどお金をかけずにできることだから。

(『さぁ、言おう』2005年5月号)
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