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定期連載 月曜評論
更新日:2005年9月16日
シニアのための後見人

 長らく検事をしていたから、人間は金の誘惑にかなり弱いことを知っている。収賄罪も そうであるし、横領罪もそうである。ましてや、相手が「痴呆」になってしまって、ほかに誰もその財産を管理していないとなると、それまでまともに生きてきたヘルパーさんでも、つい預金通帳に手をつける人がでたりする。
 しかし、そういう事件のほとんどが刑事事件にはならない。被害状況を確認できないからである。
 私は、これを「法の暗黒領域」と呼び、成年後見制度の制定を働きかけてきた。当時の法務省幹部の英断もあって、この制度は二〇〇○年四月に発足した。介護保険制度と同時である。介護保険制度の定着ぶりはめざましいが、成年後見制度の方は心許(こころもと)ない。施行後四年経(た)つが、はたして「法の暗黒領域」は解消したであろうか。

* * *

 各地の社会福祉協議会が、権利擁護事業に取り組み、痴呆の人の財産管理を行ってくれているおかげで、かなり解消した部分はあるが、特に自宅で暮らす痴呆の高齢者については、まだまだ問題が残っているように思う。
 なにしろ、成年後見制度を使って後見人を付けた人の数が圧倒的に少ない。この四年間で、五万二千人弱。うち、判断能力が残っているうちに自分で人を選んで付ける任意後見人は、わずか六千人余。ドイツの成年後見人百万人という数字に比べると、自分の財産を自分のために使うことに消極的な日本人という特徴が浮かんでくる。
 そして、わが国の痴呆性高齢者数は、厚生労働省によると百五十万人である。っまり、痴呆になっても、そのほとんどの人は、後見人を持っていないのである。
 介護保険制度は、どのように介護を受けるかを本人が選択できるところが「売り」の制度である。人生の最終段階での生き方であるから、自分の財産を有効に使いながら、自分にもっとも合った介護を選ぶことが重要である。その時に、親の財産をなるべく残したいと思っている子供に、選択を委ねてよいのであろうか。
 あるいは、自分の気持ちをわかってくれる家族のいない痴呆性高齢者は、見知らない他人に生き方や財産の管理を委ねてしまってよいのだろうか。
 先の見えない暗闇の中を、信頼できる人もなく、あてもなく歩む高齢者の群れ。そんな暗いイメージが湧(わ)いてくる。
 なぜほとんどの高齢者が、痴呆になる前に、任意後見人を選ばないのだろうか。

* * *

 本人の自己責任の認識が低いとか、家族への遠慮とか、制度の不知とか、いろいろな原因が言われるが、私は、周囲に適切な任意後見人の候補がいないことも大きな原因のように思う。
 はっきり言って任意後見人になっても経済的にワリが合わないから、弁護士などのプロはなりたがらない。司法書士は頑張ってくれているが、かなりのケースをボランティア的に扱っている現状で、数は足りない。となると、ここは、企業OBの出番である。少し研修を受ければ、立派な後見人となって、人の幸せをつくり出すことができる。全国に企業OBによる後見人候補のNPO(民間非営利団体)ができ、NPO自身が団体として任意後見人を引き受ければ、そこに依頼する人もかなり増えると思われる。
あ シニアの力で、シニアを「法の暗黒領域」から救出したいのである。

(信濃毎日新聞掲載/2004年10月11日)
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