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定期連載 辛口時評
更新日:2005年9月16日
中年男性へのテスト

 「蹴りたい背中」も「蛇にピアス」も、相当な勢いで読まれている。きけば、けっこう中高年男性も本を買っているという。確かに、どちらの小説も、若い女性の気持ちをどれだけ理解できるのかのテストとなる。さて、テストに挑んだ勉強熱心な中高年男性は、合格したのであろうか。
 私の周辺でさぐりを入れてみると、圧倒的に落第組が多い。「あの自堕落な生き方はなんだ。親や学校は何をしとる」に始まる悪口雑言を聞いていると、作品を批判するというよりは、描かれた若い女性の生きざまに反発し、自分たちの価値観がおよそ受け入れられていないことに怒りを募らせ、それをぶちまけている感じである。「とても理解できないよ、芥川賞の審査員は何を考えているのだ」というとき、彼らは絶望的な表情すら見せる。
 拒絶反応を見せる中高年男性には、共通するものがあることを発見した。
 彼らダシェル・ハメットの「男は強くなければ生きていけない。男は優しくなければ生きる資格がない」というせりふが好きである。名画「カサブランカ」のハンフリー・ボガートのように、己の恋心をぐっと抑えて、はかなげで美しい女性を救いたいと夢見ている。そして、男同士で酒をあふって「妻をめとらば才たけてみめうるわしく情けあり」と放歌高吟する。
 しかし彼らが勇ましいのは仲間うちの酒の会だけで、昼間難しい仕事が自分のところに来そうになると、コソコソと逃げ出してしまう。その姿を仕事のできる女性職員はしっかり見届けている。
 だから彼女たちは「女は強くなければ生きていけない。男は優しければそれでよい」と言い、「夫をめとらば才たけてみめうるわしく情けあり」と歌う。
 しっかり者の職場の女性に対抗できなくなった男たちは、せめて女子高校生くらいはかわいくて守りたくなる存在でいてほしいと願う。しかしこの芥川賞作品は、彼らの願望を見事に裏切る。一方は「背中を蹴りたいんだよ」と言い、他方は「私がしたいのは舌のピアスと入れ墨だよ」と言う。
 どだい女性を守りたいという願望が無理なのである。それにふさわしい実力もないし、第一その女性像があまりに時代遅れである。もし彼らが自分の妻がそうだと思っているなら、長年月にわたって騙(だま)されているというほかない。
 いまや立身出世も良妻賢母も死語となり、大人たちは若者に「君たちの生きる目標や意味は、自分で見つけるのだ。それが個人主義社会における自己責任だ」と言っている。それに対して彼女たちはそれぞれに「そうだよ。だから私たちはこんなふうに生きているんだよ」と答えを書いたのである。
 その答えが理解できないのは、個人主義が理解できていないからであろう。
 それにしても彼女たちの身体や心の傷つくさまは痛々しい。これは、自分を生かしてこそ個人主義の意義があるということを教えていない私たちの責任であろう。

(神奈川新聞掲載/2004年3月29日)
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