どんな人が税金を負担すべきか。いいかえれば、税金を負担する要素は何か−と問われたら、どう答えるだろうか。
所得税、消費税、固定資産税など、私たちは、国の税金や地方自治体の税金に取り囲まれているが、最初に書いたもっとも基本的な問いに対する答えは、実ははっきりしないのである。税の学者の間でも、財務省や国税庁の税務行政担当者の間でも、はっきりしない。
「担税力」というのが、学者や税務行政マンの答えなのであるが、担税力というのは、税金を負担する能力という意味である。問いは、「税金を負担する要素は何か」というときに、「税を負担する能力」と答えても、それは問いをもって問いに答えるタウトロジー(循環論)にすぎない。問題は、どういうときに担税力ありといえるか、ということである。
実は、財務省は、この点があいまいなことを奇貨として、税を課してはいけない場合にまで税を課そうとしているように思われる。
いろいろな例があるが、ここでは現在進行中の公益法人改革における財務省の意図を一つ取り上げ、担税力とは何かを考えてみたい。
たとえば、同窓会に対して会員が会費を納め、年度末その会費収入が余っていたら、その剰余金に法人税を課するのは、正しいだろうか。財務省の理屈は、その剰余金は「所得」(益金から損金を引いたもの)だから、課税の対象となるという。しかし、会費収入ははたして益金といえるのか。
益金とは、利益金であり、利益金とは、常識的にいって、自分が儲(もう)けた、どのように使ってもよいお金のことであろう。自分がどのように使ってもよいお金を得たからこそ、その一部を税金に納めることができるのである。つまり「担税力」とは、自分が自由に処分することができる財産を有するときに、その財産の範囲内において発生する能力だといえる。
ところが、同窓会が受け取った会費は、同窓会の行事など会員のために使うことを前提として会員が納めたものであって、この収入を、同窓会の役員が勝手に役員の宴会費に使ったりすれば、会員たちは怒るであろう。その点で、たとえば同窓会が物品販売業や出版業などの収益事業をして儲けたお金とは性質が違うのである。つまり、会費は、同窓会の事業のための資金として提供され、同窓会の事業のためにのみ用いることができるお金であって、株式会社の場合でいえば、資本金に相当するお金である。同窓会は、このお金を自由に処分することはできないのであるから、担税力は生じない。
会費収入も収入だから益金だという形式論で課税に踏み切ろうとする財務省は、担税力の解釈を不当に拡大し、市民の非営利活動に水をさすものであろう。
所得税も消費税も固定資産税も、それぞれ財産について自由な処分権を持っているからこそ課することができるのであって、この基本原則を歪(ゆが)める課税は、違法であろう。
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