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定期連載 辛口時評
更新日:2005年9月16日
「女性天皇」は当然だ

 女性の天皇を認めようという動きになってきている。国民の間でも、賛成意見が強い。当然のことであって、憲法をつくった時に、そのようにしておくべきであった。
 憲法第一条は、天皇の地位は日本国民の総意に基づくと定めたのだし、日本国民はその総意で、性別による差別はしないと決めたのだから(憲法第一四条)、天皇についても男女の差別をしないこととなるはずであった。ただ当時は、国民の実際の感情はそこまで進んでいなかったので、理屈通りにはならなかったのであろう。
 しかし、今日では、国民感情も相当変わった。男女間でトータルな能力に差がないことは、男女共学を経験した人は実感している。大学の成績上位者は、女性が多い。それに、男子(父)を中心とする家族観を生み出す社会状況がほぼ完全に消滅している。
 「結婚しない子どもは親の家に住み、親の支配のもと家業に従事して生活の糧を親から得る」という家族のあり方が普通の社会では、若干腕力が強い父親が支配権を持った。そして、家の支配権を引き継ぐ男の子(多くは、長子)は、結婚しても同居して引き継ぎの時を待った。そういう社会では、多くの人々が、男系による皇位継承に違和感を持たなかったのであろう。
 しかし、農業を含めて家業が崩壊し、サラリーマンが多数派となり、自営業であっても子がこれを継ぐか否かは子どもの意思次第という社会になると、「家」は法律上だけでなく、社会的にも消滅していく。
 それはかろうじて「氏」と「墓」の形で存続しているものの、氏については別氏別姓を求める声が確実に強まってきており、また、墓についても、散骨などの方法でこれに入らず、あるいは先祖伝来の墓とは別に夫婦の住む地に新たに墓をつくるようになってくると、はたしていつまで「家」との結びつきを保つか、確かではない。
 そのように人々の意識がかなり激しく変動していくなかで、皇位の継承をどう考えるのかは、なかなかに難しい問題だと思う。
 「家」の継承に関する旧来のしきたりを守りつつ男女の性差だけを廃するのか、それとも普遍化した核家族のイメージで皇室のあり方を再構成するのか。
 後者の場合だと、養子もありうることになる。前者の場合でも、女子の継承は男子のいないときに限るのか否かの問題がある。方針を決めずに議論しだすときりがないであろうが、最小限度必要なことは、大多数の国民が、象徴の継承方法として納得することであろう。
 そういう視点からみると、子孫のうち男子だけしか認めないというのは、いまや到底大多数の賛同を得られないと思われるし、その観点を貫けば、男女を間わず長子を第一順位とするところまで徹底しなければならないであろう。
 何より大切なことは、国民の意見を十分に聞いて決めることである。天皇が実質的にも象徴であり続けるためには、特に若い人たちの意見を重視して決める必要があると思う。

(神奈川新聞掲載/2005年1月17日)
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