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更新日:2006年10月17日

「この閉塞感はどこから来るのか」

  ソウルと上海に行って感じたことだが、街を行く人々がいきいきとしている。別に、ただ歩いているだけなのだが、何となく生気がある。こういう街の感じはどこかで経験したなと思いながら過去をたぐっていると、それはわが日本の昭和30年、40年代ころの街だと思い当たった。たしかにあのころは、今よりずっとみんな貧しかったが、大人も子どもも、前を見すえて元気に歩いていた。今は、大人も子どもも、もうひとつ元気がない。心が浮き立つという感じがない。閉塞感が漂っているのである。

  私自身は、好きなボランティアの道で気の合う仲間たちとしたいことをやっているし、講演料や原稿料で日々の生活には困らないし、天国に近いような環境である。毎日がとても楽しく、エキサイティングである。

 それでも、どこか頭の上の方に、どんよりと曇ったようなものがいつも漂っている。雲一つない、カラッとさわやかな秋空とはいかない。

 その原因は何だろうと詰めてみると、個人的なことが一つ、社会に由来するものが二つあった。個人的なことはさておいて、社会に由来するものは、わが日本国が背負っているどうにもならない借金が一つ。もう一つは、アメリカや日本の政治や社会の気分がずるずると右に傾いていることである。

  国の借金の方は、「最後は国民が貯めてきた金財産を投げ出して破産すれば済むことだ。どん底状態は先の敗戦で経験しているが、それでも日本は立ち直ったのだから大丈夫だ」と考えてはみるものの、「あんなひどい経験を子どもや孫にさせたくない」と痛切に思う。といって、多くの政治家も彼らに投票する人たちもけっこうのんびりしていて、「もっと真剣に、歯を食いしばって取り組まなきゃいかんじゃないか」と思うものの、私の力ではどうにもならない。これが閉塞感につながるのである。

  じわじわと進む右傾化も、戦争の悲惨さ、無残さを身をもって経験した者には、何ともいらだたしいことである。アメリカは、ベトナム戦争から何も学んでいないし、日本で右の方向に社会を少しずつずらしていく政治家たちも、その先に起きるおそれのある不幸な事態にまるで無頓着で、気楽に威勢のよいことを言って愛国者気取りである。聞く耳、見る目を持たず、忠告者を敵として攻撃する無神経さが、こちらの神経にこたえるのである。

 これに加えて、働いている人たちは、自分の地位やポストを上司に握られ、思うにまかせない。自分のスタンスを持っていないと、社会状況など問題にならないほど大きな閉塞感をもたらすものであろう。
 私は閉所恐怖症で、ある時、新幹線が長いトンネルの中で動かなくなり、冷房も電気も消えてしまい、いてもたってもいられない精神状態になったことがある。その際に感じた強烈な閉塞感から脱却できたのは、私が遺言のつもりで家族あてに手紙を書き始めたからである。過ごしてきた人生を思い、湧き上がるさまざまな思いを夢中になって書いているうちに閉塞感も死の恐怖もどこかに吹っ飛び、電気がついて列車がそろりと動き出した時は、惜しい気がしたほどである。要するに、夢中になることをしていれば、閉塞感は忘れるのである。
 ちなみに、手紙は読み返してみると実にバカバカしいもので、即廃棄処分にした。

(NIKKEI NET Biz-Plus ビジネスコラム第6回「この閉塞感はどこから来るのか」(2006/10/10))
(URL → http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/hotta.cfm
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