仕事をしていく上で、
信頼を失う人の言葉のかけ方とは、
どういうものでしょうか?
心をつなぐ言葉は、相手の立場に立った言葉であり、心を遠ざける言葉は、自分の立場に立った言葉である。このことは、職場においても同じである。
相手を絶対見下さない
遠い昔、私が法務省刑事局で法案(罰則)審査をしていた時の話である。某省から持ち込まれた法案のある条文の意味がどう考えてもあいまいで、二様に解釈できる文言になっている。これでは罰則は付けられないというので押し問答をしているうち、午前2時になった。背後にいる利益団体との妥協の産物だから文言は変えられず、国会提出期限はその日の早朝が限度という状態の中で、相手の役人は「通してくれないなら死ぬ」という。
私は「あなたを個人的に責めているのではない」と一生懸命なぐさめると、相手は大声で泣き出した。困っていると、やっとすすり泣きになった彼は、「悲しくて泣いているのではない。うれしくて泣いているのだ」という。何のことかわからない。彼が鼻ズルズルで説明したところによれば、その昔、彼は大蔵省に予算を取りに行って断られ、その時も「死ぬ」といったらしい。そしたら大蔵省の担当官が「こんなところで死なれたら始末に困る。自分の役所に帰って、飛び降りてくれ」といったそうな。
「大蔵省の役人と違って、法務省の役人はなぐさめてくれた。その心がうれしい」とさらに泣かれてしまった。
昔の大蔵省の予算担当には、激しい人がいた。法務省の役人にも「大蔵から『明日の味噌汁で顔を洗って出直して来い』と怒鳴(どな)られた」などという人がいた。
いった方はその場限りで忘れてしまうのだろうが、いわれた方の恨みは何十年も残る。心の傷は、身体の傷と違って、治癒(ちゆ)しない。
人格を認める
職場の人間関係は出会った時のあいさつから始まる。「おはよう」の決まり文句でよい。言葉をかけないのは、「お前の相手はしない」と宣言しているのと同じ効果を持つ。
名前の呼び方は、「さん」か「君」でよい。「ちゃん」と呼びたがる男がいるが、よろしくない。相手を子ども扱いしている。特別な親愛の情を込めたのなら、余計よろしくない。
冒頭の例のような人格否定は論外として、理屈抜きの押しつけも、人格無視である。「こんなことも知らんのか」という態度は、理性を超えて、心(感情)を傷つける。
私が大阪地検特捜部にいた時の上司は、鬼といわれた別所汪太郎(べっしょおうたろう)さんであったが、部下の報告を徹底的にメモされた。そして、次の報告の時は、前の時のメモを見ながら聞かれる。だからごまかしがきかない。鬼というのは事件に対する厳正な態度のことで、部下は大切にされた。
東京地検特捜部にいた時の某上司は、優秀な捜査官であったが、すべての部下の能力を疑っていた。それが言動に出るから、人間としては嫌われていた。
部下を辞めさせたい時以外は、「仕事をしてくれて有難う」という気持ちを言葉に表すよう、心掛けたい。
自分中心ではなく
仕事の話をしているのに、自分に責任が来ないか、自分に不利にならないかを最優先に考え、正直にもその気持ち(心配)を真っ先に口にする人がいる。
「何を考えて仕事をしているんだ」と判断され、一挙に信頼を失う。上司でも部下でも同じである。
他人の前で上司であることを誇示したがる人も少なくない。普段以上に偉そうな口のきき方になる。部下の心が離れていく。
素直に「ありがとう」と言う。無理してでも、ほめる。私は、そういう上司になりたい。
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