政治・経済・社会
(財)さわやか福祉財団ホームページへ
 
提言 福祉・NPO・ボランティア
更新日:2005年9月16日
報酬は達成感−定年後社会貢献の心得
その1 どんな活動を選ぶか

 チョイボラというのがある。お年寄りに席を譲る、外国人に道を教える、赤い羽根に千円寄付する、などなど。ちょっといい気分になれるから、気楽にやるくせをつけると得である。
 しかし、定年後の生き方の選択肢となると、チョイとはいかない。少なくとも、学校でどのクラブに入るか決める時くらいの慎重さが必要になる。
 もちろん、定年退職したらこの道を行くぞと決めて、ワクワクしておられる方は、問題ない。しかし、たぶんそういう方は少数派であろう。団塊の世代には競争一筋の頑張り屋さんが多く、定年後のことはあまり考えたくないという空気であり、多くの方の気持ちは、稼げる仕事を探す方に傾いているのではないかと思うのである。
 稲盛和夫さんが、定年後一、二年はお寺で座禅を組んで己の生き方を沈思黙考するよう勧めておられたと思う。そこまでしなくてもよいが、まだまだ長い人生であり、しかも、何をしてもよい自由が認められた貴重な最終段階の期間である。ここはじっくりと、自分が何をして生きていきたい人間なのか、突き詰めて考えてみることをお勧めする。一週間ほど海外のリゾート地にゆっくり滞在し、海を見ながら、来し方、行く末を思うのもよいであろう。
 何がしたいのか考えるヒントの一つは、自分の思春期の夢を思い起こしてみることである。そこに自分の原点があるからである。王、長嶋が夢だったなら少年野球の監督、吉田茂が夢なら町づくりNPO結成という感じで、夢を追うと、楽しいだろう。自分の趣味を人に役立てる方向で生かすのも、いい入り方である。
 やりたい方向が決まれば、情報はいくらでも目に入ってくる。地方自治体のパンフもあるし、ホームページもいろいろある。なければ、自分で仲間をつのって始めてもよい。始め方のノウハウも、インターネットにあるし、本も数多い。
 どこかの団体に入ろうという時は、訪ねてみることである。リーダーとか会の雰囲気がフィーリングに合わない時は、さっさと辞めるのがよい。ボランティアなんだから、我慢して嫌な人と一緒にやる必要はない。

その2 楽しくやるのに何が必要か

 何といっても、いきがい、満足感、達成感が必要である。いきがいは、自分が人に役立ったと自分で感じ、また、人からも認められた時に実感するし、満足感、達成感は、投入した智恵あるいはエネルギーが多いほど、大きい。成果を人が認め、感謝してくれると、倍になる。
 それが、ボランティアの報酬である。
 それは、生きるうえでの自信とよい思い出となって蓄積される。
 活動するについて、自発性、積極性、創造性などが求められることが多い。指示を待って決められたやり方でやっていては、多様で変幻自在なニーズに対応できない。そして、自分の智恵を絞って独創的に考え、自ら実行して成功した時に感じる充実感は、得難いものがある。多くの企業人OBがとりこになるのは、この魅力である。
 仲間や相手の人と分ち合う共感も、ボランティアの大きな原動力になる。企業でいえば、いつも特別プロジェクトに取り組んでいる状態といえようか。ただし特別協調的な性格である必要はない。ボランティア仲間の多くは大抵の人を受け入れる度量を持っている。
 能力については、特に秀でたものを侍っている必要は、まったくない。企業では生かしてくれなかったさまざまな能力を生かせるのがボランティアである。たとえばパソコン技術の修得に手間取り、今もモタモタしているような人の方が、おそるおそるパソコンに挑戦する高齢者に教えるボランティアに向いている。

その3 企業活動とどう違うか

 企業で身につけた大抵の能力は、ボランティアに生かせる。ボランティア団体やNPOは、まだ組織的活動に習熟していないことが多いから、企業におけるマネージメントの能力も、一般的には歓迎される。
 企業と違うのは、企業が利潤を目的としてピラミッド型組織で効率を上げる運営をするのに対し、ボランティア団体やNPOの多くは、そのミッション達成のためにネットワーク型組織で合意しながら運営するということである。ボランティアは、それぞれが納得してその意にかなう形で活動するのであって、意にそわぬことをさせたら辞めてしまう。
 その基本的な性格の差異から、いくつかの違う風土が生まれる。以下は、平常時における一般的現象である。
 まず、納得と合意が必要であって、そのためには、効率を犠牲にしなければならない。
 そして、ネットワーク型運営だから、上下関係はなく、その事業について実力と情熱の上の者が、おのずからリーダーシップを取るという運営になる。
 肩書は、通用しない。対外関係で肩書が求められるため、便宜上肩書を付けていることが多いが、それに依存していると内部関係がうまくいかなくなる。年齢、学歴、性別などの差に関する意識(無意識)を意識的に取り払わなければならない。待っていてもお茶は出ないし、コピーをとってくれる人もいないと覚悟すべきである。
 市民感覚、生活感覚が必要になる。
 企業活動をしている間に、視点が経済(株価や為替)、日本国、わが社、担当業務、そして己の身分に固定されてきている。これを一般市民の生活の視点に変えるには、革命的な意識改革が必要となる。男性は、生活する妻の眼、あるいは娘の眼から学ぶのもよい。デフレはインフレよりはいいじゃないのと思えてきたら、本物である。市民感覚で見れば、政治や行政の偏りも見えてくるから、利益団体の圧力に歪められているのを正したいという気持ちが湧いてくる。そして、それ以上に、彼らの力の及ばざるところを自分たちの力でよくしていこうという行動意欲も湧いてくる。それがボランティア活動である。友と熱く語りつつ、人々の幸せに貢献する幸せを知るのである。

その4 メリットは何か

 ボランティア活動の社会的意義もさりながら、それは活動者やその家族にもメリットを生み出す。
 本人の人生に、張り合いがでてくる。
 精神がいきいきとしてくるから、少々の病気ははねとばしてしまう。
 こころだけでなく、身体も若返り、眼に光が、肌に張りが出る。私の周辺を見ると、半年で五歳、一年で十歳ほど若返る。それ以上は保証しない。
 会話が魅力的になり、いろいろな友だちができる。高齢者と若者が対等の友だちになる。
 そして、いい思い出につつまれて、幸せに天国に行ける。人生、最後でその価値が決まるのである。
 家族関係も、よくなる。
 定年後にいがみ合っている夫婦は少なくないが、定年まで会話がなかったのだから、当然の現象といえる。ボランティア活動をやっていると、会話がはずむ。誰にとっても心を動かされる話題だからである。
 親子間の会話も生まれる。子にとっても、親が元気で社会のために活動していることは好ましく、安心できることであり、その活動内容は、会社の仕事内容と違って、聞いてわかり、共感できる事柄である。親に誇りが持てることは、うれしいことでもある。
 一度ゆったりした時間をとって、人生最後の段階における稔りと豊かさをどうつくるか、考えてみるのも悪くないであろう。

(文藝春秋掲載/2004年7月)
バックナンバー一覧へ
  このページの先頭へ
堀田ドットネット サイトマップ トップページへ