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提言 福祉・NPO・ボランティア
更新日:2005年9月16日
認知されないボランティア

 ボランティアの世界に入って痛感することの一つに、日本ではボランティアが法的に認知されていないということがある。アメリカにはボランティア振興法があって、連邦政府によるボランティア支援が財政面でも組織面でも体系的に整備されており、また、歴代大統領が、法令を制定してボランティア振興のための財団その他の組織をつくり、運営を支えてきている。イギリスには、チャリティ委員会がある。
 ところが、日本では、やっとNPO法ができて、ボランティアはNPOに集い、何とか居場所を認められている程度である。しかし、それは事実上の話であって、NPOはボランティアのための組織ではなく、NPO法は、法的にはボランティアと関係がない。

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 日本のボランティアは、法的な居場所がないだけでなく、サービスの対象者から実費や謝礼金を受け取ろうものなら、たちまち各種の事業法令によって締め付けられる。本誌の本年六月号に特集のあった介護輸送は、運用上工夫をこらして白タク問題に穴を開けようとするものであるが、要介護者などを病院などに移送するサービスをしているボランティアからすれば、「相手から実費や謝礼金を受け取ったとしても、それは運賃じゃないのだから、運送業として取り締まるのは筋違いでしょ」ということなのだが、その額がいくらであろうと、払う趣旨が何であろうと、運送に関して金品を受け取ればそれは対価で、だから有償の運送になるという法解釈は、動かない。なにしろ法律をつくった昭和二十年代には、スタイペンド(報酬ではなく、無償サービスに対する謝礼の趣旨で支払われる金品)などという概念は存在しなかっただけでなく、ボランティアもほとんど存在せず、法令をつくるに当たって考慮されることはまったくなかった。それは、輸送の分野だけでなく、食品の提供(配食サービス)、ホームヘルプ、アートの鑑賞など、どの事業分野についても同じである。そして、真打ちは税法であって、ボランティア団体あるいはNPOが実費や謝礼金を受け取ると、たちまち法人税法令に列挙する収益事業の類型をたくみに解釈して、これを営む団体に当たると認定する。
 ボランティアは、事業法上及び税法上の居場所がないだけでなく、労働法令上も居場所がない。私は、旧労働省当時から、スタイペンドを法令上認知し、労働の報酬(労働法上は「対償」)と、ボランティアに対するスタイペンド(謝礼)とを区別してほしいと働きかけてきた。社会実態としてその差が厳然として存し、主観的な労力提供の動機や認識の面でも客観的な額の面でも、両者は類型的に異なるのであるから、法解釈に当たっては両者を区別して法を当てはめるのが当然である。良識ある労働官僚はこの区別をよく承知していて、運用面では配慮するのであるが、法令上これを認知するとなると、二の足を踏む。悪い雇用者が、スタイペンドの認知を悪用して、ボランティアを仮装した低賃金労働の強制をするおそれがあるというのである。良識のない(?)労働法学者も、観念論として、同じおそれがあると指摘し、立法には消極的態度をとる。そんな雇用者がかりに出たらたちまちバレるから、取締りは容易だと思うのであるが、はじめから拒否反応を示していて受け付けようとしない。

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 日本では認知されない非嫡出子ボランティアは、しかし、着々と成長している。嫡出子である私企業と行政がいずれも提供しない分野において、NPOと共に、懸命にサービスを提供し、喜ばれ、感謝されている。対象は、たとえば介護保険のサービスだけでは暮らしていけず、といって家政婦さんを雇えない多くの高齢者、一人では街に出られない障害者、登校できない、心に傷を受けた子ども、タクシーや食堂を利用できない要介護者や生活困窮者、行政サービスが受けられない外国人などなど。住民登録がないという理由で自治体が放置している路上生活者のために、築地へ仕入れに行って捨てられるマグロのしっぽや頭を貰い、わずかに残っている身をこそげ取って帰り、百円玉二つか三つでマグロ丼やみそ汁を提供しているNPOの若い女性のかいがいしさに接すると、涙がでてくる。
 日本も、もうボランティアやNPOの力を借りないと、豊かさも安心(セーフティネット)も維持できない成熟した先進国になったのである。

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 成熟した先進文明国の特徴は、自助と公助だけでなくて、共助の輪がはりめぐらされないと、社会が崩壊するということにあると思う。国によって自助と公助のどちらに重点を置くかの差はあるが、共助を大切にしている点ではあまり差はないようである。コミュニティとか地域社会の維持、充実を諸先進国の施政者が強調するのは、「共助」への参加をよびかけているのである。
 その共助の輪の中核にあるのが、近隣社会であり、ボランティアである。
 日本は、経済発展に熱中するあまり、共助の社会的重要性を忘れていた。共助の基礎は、システムではなく、人々の心情であるから、一度こわれ出すと、再建は容易ではない。
 この財政難で公助の範囲は縮小するばかりであろうから、せめて、ボランティアを正式の嫡出子と認め、その力を借りないと、社会の成熟どころか、退行が始まるであろう。

(国土交通掲載/2004年10月)
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