認知症になっても、地域の人々に支えられて自宅で1人暮らしを続けている方がいる。たとえば広島県福山市の鞆の浦では、重度認知症の女性が自由に外出もしながら、10年間1人暮らしを続けているし、徳島県の島田島でも、島の人々に総菜の提供を受けながらの1人暮らしが続いている。それぞれ80代で、要介護度も高いのだが、住み慣れた場所に暮らして落ち着いた日々を過ごしておられる。
そこに至るまでには地域の方々の葛藤もそれなりにあったのだが、最後は支えていこうという気持ちが勝ったのである。
国はそういう気持ちをあてにして、要支援者の生活を助け合いで支える制度をつくったが、「そんな制度は失敗する」という声も少なくない。もちろん人の気持ちの問題だから、全国一斉に実現することはありえないのだが、各地で助け合いの仕組みづくりは確実に進み出している。
■竹田市の仕組み
その中でも仕組みとしてはこれが最高だろうと思うのが大分県竹田市の「暮らしのサポートセンター」(愛称くらサポ)プラス「よっちはなそう会」(新しい地域ささえ愛推進会議)である。
竹田市は歴史ある山間の町で、人口2万4千人弱、高齢化率43%であるが、今回の熊本地震でも、県境を越えた後方支援を行うため、竹田ベースキャンプを立ち上げ、南阿蘇村周辺に連日ボランティアを派遣するなどの支援活動を続けたほどに、人々の人情味は厚い。
竹田市がくらサポに取り組んだのは2011年からで、まずは高齢者が何に困っているのか、そのニーズ調査を行った。各戸を訪問し、1人1時間をかけて、じっくり話し合った。その訪問員は、市民から募集し、研修して養成した。
その結果を市内七つの地区ごとに分析し、どの地区でどんな助け合い活動を展開するかを地域の有志を中心に話し合った。
その結果、七つの地区に順次くらサポが立ち上がってきた。
その活動で共通しているのは、地区の誰もが立ち寄れる居場所があり、ここを拠点として地区の人々のちょっとした助け合いから、会員制で有償(標準型は30分400円)のボランティアまで、地域のニーズに合ったさまざまな助け合い活動が展開されていることである。
その内容は、食事の準備、掃除洗濯、家の簡単な修理、見守り、話し相手、留守番、代筆、外出支援、子どもの送迎、預かり保育など、ニーズに応じて多岐多様であり、くらサポは、助け合いによる生活支援の仕組みとしては、地域住民のほとんどすべてのニーズに応じられる形になっている。あとは、たとえば、どの地域にいても歩いて行けるように居場所を数多くつくっていくとか、ニーズに応じる担い手をどんどん増やしていくとか、実践が求められる段階に入っている。実際、くらサポの活動は着実に広がっている。
■「目指す地域像」へ
ただくらサポには生活支援という枠があるが、地域のニーズは、生活支援には限定されない。
もっと幅広く住民のニーズに住民が応える仕組みをつくろうというので、昨年、よっちはなそう会が始まった。これは先に述べた国の新しい制度を機に、住民主体の地域づくりをしようと訴えたさわやか福祉財団のフォーラムでのワークショップから生まれたもので、行政各部課や包括支援センター、市社会福祉協議会とくらサポが一体となって運営に協力し、地域の住民が「目指す地域像」を話し合って、くらサポではカバーできない分野の各種住民活動をつくり出していこうというものである。自治会や民生委員、こども会から消防団、駐在所まで地域のさまざまな人々が参加し、各地区で話し合いが進んでおり、くらサポでやれない地域の支え合いマップづくり、男性料理教室、声かけ、あいさつ運動、ふれあいバス旅行、白丹温泉館を盛り上げる活動など、地区ごとにさまざまな活動が生まれている。
こうした地域ごとに自主的な活動を柔軟に行う事業は、島根県雲南市を筆頭に全国に広がりつつあるが、竹田市はその核として多様な生活支援を行うくらサポの仕組みをつくった点に層の厚さがあるといえよう。
私が実感するのは、大都市中心部を除いて、結構「やろう」という市民、住民が参加してくるということである。政治と経済に頼らず、自ら動く人たちが増えているのである。
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