軽度者への生活援助は自助でやれという非現実的な案が消えつつあるのは、ひと安心である。
しかし、問題の根は深いので、この際原点に戻って議論を整理する必要があるだろう。
なぜ介護保険制度で生活援助をするのかについてあえていえば、要介護者はそれがなければ生活できないからである。だから施設では当然に生活援助が行われるが、在宅の場合、それがなければ在宅で生活ができないのだから、施設に入らざるをえない。ところが軽度者は施設入所が制限されているのだから、国は、在宅者に対する生活援助を廃止することができない。
ところが現実には訪問介護における生活援助は、ケアマネジャーが本人の要求に妥協することもあって、本人ができることまで援助する実態になっている。そこから、「不当、過剰な利用だから廃止せよ」との主張が出てくるが、これは行き過ぎた議論であって、なすべきことは生活援助をあるべき姿に戻すことである。
あるべき姿に徹すれば、同じ生活援助行為であっても、部分的に本人ができることについては、自立を奨励して本人に行わせることが重要になる。調理でも掃除でも洗濯でも、本人がやれる部分は本人にやってもらわなければならない。ところがヘルパーにとってはそれは面倒なので、ついまとめてやってしまう。これが自立を阻害する。この面倒な、しかし重要なことを実行してはじめて生活援助は自立支援、重度化防止の効果を持つ。甘きに過ぎる実態を放置して「生活支援は重度化防止の効果がある」と主張するから、「その証拠を示せ」などという反論が出てくるのであろう。
では、誰が生活支援をするのが好ましいか。自立支援は専門家でなければやれないという議論があるが、助け合いの現場にいる私には大いなる違和感がある。私のボランティア仲間たちは志でやっているから、相手のやれることはやらない。やると甘えを生み、その自立や尊厳を損なうことをよく知っているからである。そして、ボランティアだからこそ、時間をかけ、相手がやれることの範囲を増やすよう、やさしく誘導できるのである。
当面、要介護者は生活支援に対する給付と助け合いの支援を選択できる仕組みにしてはいかが。
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