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提言 生き方・その他
更新日:2005年9月16日
自己実現といきがい

 人は前頭前野を持つ動物であるから、高度な精神的欲求を持つ。自己実現の欲求は、その最上位のものである。
 精神的欲求は、生理的欲求と違って、一度満たされれば、しばらくはそれでおさまるということはない。欲求は無限で、完全に満たされたという状態にはならない。
 だから、精神的欲求が満たされていなくとも、それを満たすべく努力している時は、むしろ人はいきいきとしている。そこが生理的欲求と違う。
 また、精神的欲求自体を失うと、人は活力を失い、ボケてしまうこともある。そこも、生理的欲求とは違う。
 まとめていえば、人は強い精神的欲求を持ってそれを満たすべく努力している時が、健康で幸せな時であるということであろう。

 マズローの欲求の五段階説を引くまでもなく、自己実現は人の欲求の中で最上位に置かれるものであるが、マズロー自身は、この欲求の実現者はきわめてまれであるととらえていた。レベルを上げればそういうことになるが、私たちは、別にそれほど高レベルのものを求める必要はない。自分で、「やったァ」とうれしくなる程度のレベルで十分である。
 単純化していえば、自己実現とは、「人としてしたいことをする」ということであろう。

 人は、自己実現に努めている時、いきがいを感じる。自己実現に成功して、他者から認められた時、自己の存在意義を確認し(自己存在の確認)、いきがい感は完了する。そして、それが、あらたな自己実現への挑戦のエネルギーになる。それをくり返していれば、人はいつまでも若々しく、心は健康で、充実した日々を送ることができる。
 いきがいのない人生は、ボケにつながる。
 二万二千人の痴呆患者を診療された金子満雄医師によると、外来の顔ぶれからしてボケが多いと思われる職業は、「親方日の丸のお役人、学校の先生、郵便局員、警察官、税務署員やそれに類似した銀行、鉄道などに勤める人」だそうである(同医師著『生き方のツケがボケに出る』角川文庫一二八頁)。もっとも、職業ではなく個人の生き方の問題だそうで、八五歳以上の独身のかくしゃく男性三〇人を調査したら、その共通点は「お酒落で、生き甲斐、趣味、親友を持ち、特にガールフレンドが数人以上いる」ということであったという(同書四四頁)。
 何がしたいかわからないのがよろしくない。

 私のさわやか福祉財団は、自分のしたいことをしてもらうことにしているから、職員はいきいきとしている。例を二人あげる。
 新日鉄の幹部社員だった神谷武秀さんは、五〇代前半の脳溢血でほぼ半身不随になり、窓際に置かれていたが、志望してわが財団に出向して来られ、企業にボランティア活動を勧める仕事を担当された。当初は、出勤するのがやっとであったのが、各社を訪問するうちみるみる活力をとり戻し、泊付きの出張にもすすんで出かけるようになった。そこで、新日鉄系の会社に復帰され、今は、障害にも気づかないほどにお元気である。
 五十嵐純さんは、東京海上のエリートであったが、輸血によるC型肝炎に罹患し、わが財団の前身であるさわやか福祉推進センターに出向して来られたので、彼の意欲と能力を買って事務局長をお願いした。組織がまだひよこの頃で、彼の苦労は大変なものであったが、私の理想にいたく共鳴してくださり、獅子奮迅の働きをされた。ついに五年後の八月八日に六〇歳で亡くなるが、亡くなられる前々日まで事業の進め方について話をされていた。私としてはいたましく申し訳ない思いでいっぱいで、「わが心欠けて真夏の月寒し」との句を捧げたのであるが、最後まで張りつめた前向きな日々を送っていただいたことが、せめてものなぐさめである。

 私たちと連携関係にある「さわやか徳島」のボランティアさんたちがお世話に出かけているAさん(男性、九五歳)は、ガンの宣告を受けホスピス病棟に入っておられるが、ベレー帽をかぶり、おしゃれをして、得意の墨絵と書道を来訪する弟子たちに教えておられる。教える時はベッドに正座して姿勢を正し、ユーモアを交えての教授ぶりだと聞く。
 私の上司であった元検事総長の伊藤栄樹さんは、巨悪の摘発で名をはせた人であるが、在職中にガンを発症し、『人は死ねばゴミになる』という本を書いて六三歳で亡くなった。亡くなる二か月前まで蝋のような顔で出勤しておられたが、本には、自分の生命を見つめ、死に至る自分の思いを後世に残そうという強い意志が明確にあらわれている。最後まで自分を大切にする生き方を貫かれた。

(エイジングアンドヘルス/2003年4月)
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