昔、ニューヨークに住んでいた頃、友人であるユダヤ系の弁護士から、「各国の物価を感覚で掴む方法を知っているか」と聞かれた。
「それは、理髪代だよ」というのが答えである。確かに、一理あると思った。
ただ、この頃は千円、十分でヘアカットというのから、じっくりタオルで蒸してからひげそりというのまで理髪代も千差万別で、もう指標として使えない。
忙しくてどうにもならない時は、十分千円でやってもちう。事前に若干の注文をすると、「はい、はい」と答えているが、あっという間にバリカンで刈り上げられて、注文とは全く違う頭になる。その店から出てくる男はみんな同じ頭である。平素の形とは随分違うので自分では不満なのであるが、妻からも秘書からも仲間からも、全くコメントはない。要するに、誰も私の頭など見ていないのである。見て欲しければW杯ベッカム頭にするほかない。
考えてみれば、私自身も平素、妻や秘書や仲間の頭を見ていないので文句をいう資格は無い。それにしても私の法律事務所のある青山辺りは美容院が多い。六百軒はあって、年にその一割が倒産、新規開店なのだそうだ。値段はまちまちだがカットだのブローだのと足していくと、半日かかって三万円から四万円というのが当たり前のようである。一体誰がそんなに高い頭を見るのであろうか。そして、日ごとに変形していく頭に、なぜそんな大金をかけるのであろうか。
にもかかわらず美容師さんたちの熱心なこと。総ガラス張りの丸見えの店で、若い美容師さんたちが夜の十時なのに真剣に仕事をしている。その時間帯になると、客ではなくカツラの頭で練習(研究?)している若者が多い。「どうして髪形という、はかないものにこんなに熱中できるんだろう」などと考えるのは、誰からも見てもらえない年寄り男のひがみであって、実は、髪形を命とする女性が少なくないのだそうな。
駅のトイレでは鏡の前で上下左右斜め四方に顔を振り頭を振って髪形を整えるのに熱中している若い男によく出会う。そのうち電車には、化粧する若い女性に負けないくらい髪を整える若い男性が現れるだろう。
「自分にどんどん金をかける時代に入ったんだ」というのが私の感想である。頭の外側だけでなく中側にも金をかけるようになっている。いいことである。それで人が幸せになるのだから、美容師だけでなく、教師をはじめ介護、医療、各種相談業など直接人を相手にする職業に就く者はみんな自分も幸せになれる。
これからは、そういう職業に従事する人が増えていくに違いない。それほど儲かりはしないが、やりがいがあるからである。
さて、まもなくお正月。着飾った女性方の衣装と顔だけでなく、髪もしっかり見ることといたしましょう。
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