「私、夫がいくら給料を貰っているか知りません」と、二十代後半の若妻がいう。働きながらボランティア活動にも精を出す、今時の元気な女性である。家計に必要なお金は共通経費としてきっちり計算し、一円の単位まで折半して負担する。あとのお金は何に使おうと勝手なのだそうな。
調べてみると、共働きの若いカップルでは、家計費折半というのは当り前で、お互いの稼ぎを知らないカップルも珍しくはないようである。特に、学生のころからのカップルは、自然にそうなっているらしい。
何だか水臭いように思うのは古い者の感じ方で、彼らは助け合って楽しい家庭を築いている。さらっとのろける、その愛情表現は、実に素直でほほえましい。
けなげなカップルの愛に満ちた生活を破壊するのは、時として深夜に及ぶ残業である。特に、男性社員の場合がひどく、子育てに参加するどころか、子づくりに参加する体力も残っていないという若者もいる。
しかし、若者たちの方も、自衛策を講じ始めている。
白髪のタクシー運転手が「会社は、年のいった者を雇うのが得ですよ。私のように社会保険料を払わなくてすむ者がいるから」というので、「高齢者が元気に働くことは社会にとってもよいことですが、若い運転手さんの稼ぎが減るということはないのですか」と聞くと、「大丈夫ですよ。このごろの若い人たちは、日曜日は休むから、そこを私たちが埋めるのです」という答えであった。若い人たちは、稼ぎよりも休日を家族と過ごす方を大切にするのだという。
同じことを、バス会社の管理職からも聞いた。その会社のある支所の運転手たちが次々に辞めて困っているというので、原因を尋ねると、近くで大がかりな道路建設工事が始まって、そちらのトラック運転手になってしまうという。「報酬がいいんですか」と聞くと、「いや、それよりも、休日に休めるというのが絶対的な魅力のようです」という。若者だけでない、中年の人たちもそういう傾向になっているという話であった。
若い人たちの「七、五、三」がいわれている。就職後三年内に中卒の七割、高卒の五割、大卒の三割が辞めてしまうのである。この就職難の時代に、である。日本経済から見れば大変困る現象であるが、若者たちは、給料さえ払えばどう使ってもいいだろうという働かせ方に付き合う気はない。彼らは、やりがいの感じられる仕事をし、家庭では、お互いの個性を尊重しながら対等な愛情生活を楽しみ、ゆとりをもって生きていきたいのであって、収入にはそれほどこだわっていないように思われる。
物のない時代に育った仕事絶対優先の管理職が若者の心を理解しないままでいると、少子化にも経済の長期的体力低下にも歯止めがかからないであろう。
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