私は中学生から高校生にかけての頃、小説家になりたいと考えていた。人間とはどんなものかを描き出し、死後も残るような小説を書きたかったのだ。それが大変な高望みであることは分かっていたし、その夢にどう取り組めばいいのかも分からない。思春期だった私の精神状態は、どんどん暗いほうへ傾いていった。
そんな時に出会ったのが井上靖の『あすなろ物語』(新潮文庫)である。作品のストーリーよりも、あの有名な「明日は檜になろうと常に思いながら、ついになれないあすなろ」という挿話に強い印象を受けた。思い続けて努力すれば、たとえなれなくても良いじゃないか。そんなメッセージを受け取った気がした。
結局、私は法曹の道に進んで検事になったのだが、仕事がうまくいかない時や落ち込んだ時、何度もこの本を読み返した。その度に、何の保証もないのに嫌いな科目の勉強にも打ち込んだ、あの思春期の気持ちに戻ることができた。「またあの時のように、何もないところから頑張ればいい」という気持ちになれたものだ。
不本意ながら大阪地検特捜部を離れて法務省に出向した。外務省に出向してアメリカに駐在することにもなった。その度に「あすなろ物語」が私の気持ちの支えになってくれた。
そんな私の人生最大の危機といえば、やはりロッキード事件で、コーチャンを嘱託尋問するためアメリカに派遣された時のことだろう。一九七六年に法務省の参事官として事件にかかわった私は、その年の四月に東京地検特捜部に移り、五月末にアメリカへ乗り込んだ。
世間では知られていなかったことだが、時効がこの年の八月十日に迫っていた。それまでに贈賄側のコーチャンの供述を引き出して、田中角栄氏の逮捕までいかなければならない。しかし優秀な弁護人を揃えた相手側は、あらゆる限りの異議を申し立てて尋問の適法性を争ってきたので、いたずらに時が過ぎ、事態は切迫してきた。
私は神経をすり減らし、次第に追い詰められていった。不眠が続き、食欲もわいてこない。ホテルの周辺には新聞記者が張り込んでいるから、外に出て気分転することもできない。そんな日が続いて、自殺する人の気持ちとはこんなものなのか、とまで思うようになった。同僚の東條伸一郎検事は、朝五時に起きて写経していた。
こうなってくると正直、本を読むどころではない。不安とイライラで窓から飛び降りたくなる自分を抑え、裁判所に近い安ホテルのベッドの上で正座して、自問自答を始めた。
「どうしてこんなに不安なのだ?」
「日本の検察の威信がかかっている。国民の期待も大きい」
それでも最初は格好をつけて自答していた。しかし繰り返し自分に問いかけているうちに、本当の理由が出てきた。
「これで失敗したら辞めるしかない。それはいいが、弁護士になって、一生後ろ指を差されながら生きていかなければならないのが耐えられない」
結局、恥の一生を送るのが怖かっただけなのだ。
「駄目だったら、もう一度、何もない状態に戻って頑張ればいい。辞めてボランティアの世界に飛び込もう」
こう思ったら、気持ちがすっと楽になり、眠れた。そうしたら気力も湧くし、知恵も出てくる。あらゆる壁を突破した私たちは、ついにコーチャンの尋問にこぎつけた。七月六日のことである。
あの時、自分の心を不安から解放することができたのは、それまで何度も「あすなろ物語」を読んで、何もない状態に戻ればいいではないか、と自分を励まし続けた経験があったからであろう。その時は、本を読むゆとりもなかったが、心の中に刻み込まれていたと思う。
いま私は七十一歳なのだが、まだまだ檜には程遠いし、どうすれば、檜になれるのかも分からない。なれないままに死んでしまうのだろうが、それでもあすはなろうと思って日々を生きていきたい。
|