更新日:2014年4月15日
長生きと感動
「あァあ、長生きしてよかったなァ」
むかし、年寄りたちは、感動してそう言った。そりゃそうである。
戦争が終わって、思うことが言えるようになった。
食べる物が、少しずつだが出てくるようになったし、銭湯ではあるが、お風呂に入れるようにもなった。
電気洗濯機や電気冷蔵庫が買えた家の喜びは爆発的であり、白黒ながらテレビを買った時は、ご近所の子どもたちがかじりついて、こちらの見たいものが見れなかった。
新しい電気製品が入るたび、生活はグンと楽になったのである。
しかし、その感動も、車を買った時か、遅くても、蛇口から温かいお湯が出るようになった時までである。
もちろん文明は進歩し続けているが、年寄りが感動するような製品は生まれていない。
車にどんな機能が付加されても使うほどのものではないし、携帯もパソコンも、お付き合いで使いはするが、なくても日々の生活に特段の支障が出るわけではない。むしろそういうものを使いこなせないために、若い者との交流が出来にくくなる方が、つらい。
バブル崩壊後は、経済の方は世知辛くなるばかりだし、冷戦の終結はよかったが、そのあともきな臭い戦争のにおいがあちこちからただよい、日本が巻き込まれる可能性は、むしろ高まっている。
長生きの感動があまりない時代になってしまったのだが、それでも、多くの年寄りたちは幸せに暮らしている。昼間のバスも病院の待合室も高齢者の天下だし、美術館も里山遊歩道も世界一周クルージングも高齢社会。文化講演会、生涯学習講座と学習意欲も高く、スポーツクラブや町のプールにも進出して健康づくりに励んでいる。
安らかな日々を送れるのだから、目出たい限りである。
かわいそうなのは、若い人たちで、学校は学力競争、就職難から残業続き、孤独な子育てと税・保険料の天引き。子どもが大学を出て、就職してくれるころにはくたびれ果てて、退職後の自由を楽しむ余力がない。
この際、高齢者は、もう少し若い人たちのお役に立たなきゃいかんだろうと思う。
実際、人さまのお役に立っている人たちは、日々、元気で、いきいきとしている。
大先輩は日野原重明先生。講演でもじっとしていない。歩き回ったり、サッカーの蹴りのように足を振り上げてみたり、客席の子どもを抱き上げてみたり。学生時代は丈夫でなかったというのに、百歳過ぎてこのお元気さは、日々のいきがいから来ているとしか思えない。
80歳の私の前後の方々では、あしなが育英会の玉井義臣会長。アフリカの子どもたちを世界の大学で学ばせるため、年に100日も世界の各地を訪ね、同志を募っている。パーキンソン病で車椅子を離せなかったのが、次第に、車椅子を使わず歩くようになられたのが不思議である。
同じく「金八先生」の脚本家、小山内美江子さん。国際ボランティア・カレッジで人材を育てながら、学生ボランティアらと車椅子でカンボジアを訪ね、これまでに建てられた学校が300棟。会うたびに血色がよくなり、目の輝きが強くなる。このオーラの源も、心意気に違いない。
安らかな日々も貴いが、欲しいのは感動である。むかしは、社会の進歩がそれをくれた。
今は、自分が人に役立つことによってそれを自ら生み出す時代である。
数多い私の仲間でも、夢中になる何かに取り組み、誰かに役立っている人は、若い。心が若いから、身体も若い。
若い人たちの助けになる生き方は、若い人たちのためになる前に、自分のよい人生、長生きに役立つ。私の実感である。
(栃木銀行会員誌「いきいき」Vo.43 2014.3掲載)