愛情は最も人を幸せにするもの(「財」とも「社会資源」ともいう)であるが、GDPには参入されない。助け合い活動、ボランティア活動も、ただで行われるから同じである。政治活動(政治家が選挙民に対して自己の政策を語り、働きかける活動)や宗教活動(良い人生を送るのに役立つ生き方などを教導する活動)なども、それが邪でない限り人に幸せをもたらすが、基本的に無償で行われるから同じである。
以上は広い意味での共助の活動であるが、自助の活動である学習、芸術鑑賞、趣味活動なども、教育や作品展示、器具の提供などは有料で行われるとはいえ、中核を成す学習、鑑賞、参画などは無償で行われる。これらのエネルギー投入こそ人に成長の喜びや生きる充実感をもたらす財なのであるが、これらもGDPには参入されない。この分野で最近めざましいのはSNSなどの情報提供行為であって、多くの中若男女(「老」ではない)が夢中でエネルギーを投入している。
私は、これら人を幸せにし、充実感をもたらす行為を「無償財」と名付け、その評価を求めているのであるが、そもそもこれらをGDPに算入しないならば、GDPとは何だということになる。
政治家や官僚がGDPを増やすために全力を挙げても、実はそれは国民の幸せや充実感にはさほど役立っていないのではないか。もちろん生活の物的基盤は生存のために不可欠であるから、その形式は政治や行政の基本的任務であるが、人はそれだけでは幸せになれない時代になっている。
とはいえ、政治家や官僚が家族愛を説いたり、助け合い活動・ボランティア活動を強要したり、宗教活動を慫慂したり、SNSの活用を勧めたりするのはとんでもないことである。それらは人々が自主的、自律的に行うものだからである。
政治や行政がすべきことは、GDP(金になる活動)に振り回されず、無償財こそが現在の文化レベルに達した国民に幸せをもたらす重要な財であることを正しく認識して、それが主体的に進められる環境や仕組みを整えることである。GDPではどんどん順位を落としている日本を幸せ大国に導く方策は、それしかないであろう。それが、人類が進歩していく道だからである。
|