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提言 教育
更新日:2005年9月16日
役に立つ喜びを教えよう

 国語なら、新聞の見出しの意味が理解できる。算数なら、釣り銭を数えられる。あえて極端に言うが、義務教育で15歳ぐらいまでに最低でも子供たちに教える必要があるのは、その程度のことではないか。
 教育で最も大切なのは、子供たちの自発性だ。今のように受験競争だけだと、終わった途端に、せっかく学んだことを忘れてしまう。必死の努力は、その後に何も生きていない。
 義務として教える学習内容を減らす一方で、例えば算数が大好きな子がいたら、習熟度に応じて思い切り学ばせてあげればいい。小学6年生に大学レベルを教えてもかまわない。勉強したい子には、レベルに応じた勉強を好きなだけさせる。知識科目は、学年の枠を壊して授業をすべきだ。
 子供たちの学力低下が間題になっている。私自身、教育課程審議会委員として「ゆとり教育」を強力に推進しただけに責任も感じている。だが審議会の答申を受けて実際に行われたことと、私の提言とは似て非なるものだ。学年別の枠組みは残し、教える内容だけを減らせば、やる気のある子にとって授業がつまらないのは当たり前だろう。
 教育は知識教育と人間教育に分けられる。例えば職業教育とか文化、芸術、体育といったものは、人間性の基礎的な発展のために教えるものだ。基礎的レベルは人によってそれほど変わらないし、いろいろな人間が集まってわいわいやることが大切なので、同じ年齢の子供たちをクラスに集めて行えばいい。知識教育と人間教育で柔軟な教え方ができるよう、もっともっと自由化することが大事だ。
 戦後の物のない時代から復興するために、日本では資本主義の競争原理に最高の価値が置かれてきた。その結果、どちらがお金持ちかとか、どっちがいい服を着ているかとか、すべての面で周囲が競争相手になり、社会全体がぎすぎすするというマイナス面も生み出した。地域社会も崩れてしまった。競争原理を否定はしないが、今さら教育で強調する必要はない。
 むしろ、ボランティアのような競争原理とは無縁のことを学校で学ばせる必要がある。知識を得たり、趣味で楽しむのと同じように、人の役に立つという喜びもある。ボランティア活動があることで、自分たちの社会が温かく安心できるものになるということを子供たちに知ってもらいたい。そのことで、生き方の選択肢が増える。
 自分が人の幸せを生み出すという喜びは、教えて分かるものではない。体験でしか実感できないものなのだ。だが今の学校にはボランティアを子供たちに体験させるノウハウはない。全国を見回しても、理解のある先生はまだ少数しかいない。積極的に地域の協力を求め、一緒に子供たちの人間性を育てるという意識が先生たちに必要ではないか。もっとおおらかになって、広く地域に門戸を開いてもらいたい。

(毎日新聞掲載/2004年5月31日)
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