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提言 教育
更新日:2005年11月17日
わたしとおかあさん 〜自立を教えてくれた〜

  育ての母、小森四奈は、兵庫県浜坂町(現、新温泉町)の小学校から鳥取高女、同志社女専へと進み、宮津女学校の英語教師となった。
  教え子の方々によればモダンな人気教師だったらしく、和服の先生の多い中、とっくりのセーターにジャンパースカートといったスタイルで、放課後はテニスに興じ、休日はしばしば京都に遊びに出て、観てきた洋画の話、街のたたずまいなどを授業で伝え、休み時間には『モンテ・クリスト伯』(巌窟王)を読んで聞かせていたという。
  教え子の一人が「小森先生に英語を習った生徒は、みんな英語が好きになった」と、また、別の一人が「下校中、小森先生にお会いしたりすると、ルンルン気分で帰宅致しました」などと書いてくれている。
  教師となって8年、彼女は宮津中学校の英語教師、堀田由之助、つまり私の父と恋をし、結ばれる。思いもかけず、父は彼女に退職を求め、しかも、その先妻の子である不肖私、ツトム君を京都の親せきの家から引き取って同居することを求めた。ツトム君、当時5歳、わがまま放題に育てられたやんちゃ坊主であった。
  彼女はこの要求に応じ、天職とも思える教師の職と、2人きりの甘い新婚生活の夢を捨て、以後、専業主婦として4人の子を産み、戦中戦後の超貧窮時代を乗り切り、1991年、80歳で生涯を閉じた。
  彼女は5歳のツトム君に、朝夕のふき掃除の日課を課すことによって役割分担の厳しさを教えたが、進学、就職などその人生の築き方については、すべて本人まかせであった。大学に入ったツトム君が学生運動にのめり込んで危なかった時も、自宅に何日も友人を泊め、怠惰に日々を過ごしていた時も、弟が大学卒業後、羽織袴に高下駄で船に乗り込み、あてもなくアメリカに旅立った時も、妹が、いつ受かるかわからない司法試験浪人と結婚すると言い出した時も、何も言わず、したいようにさせた。
  おのれの才能を殺し、忍耐を重ねて私たちに自立と自己責任を教えてくれた母を思うと、今になって涙がにじみでてくるのである。 

(毎日新聞掲載/2005年11月16日)
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