1.新しい公益
明治以降の近代国家形成の過程において、公益を実現する主体は国家であり、公益の中核は、国民の生存権の保障であると認識されてきた。その内容は、戦後制定された憲法25条以下に、生存権的基本権(社会権)の保障の形で具体化された。
しかしながら、日本が高度成長を遂げ終えて国民の経済生活の基盤がおおむね築かれ、その生活権がほぼ保障されると、国民の欲求は、「心の豊かさ」と表現される精神的要素の強いものに高度化していく。国民の欲求の高度化に対応して、例えば福祉の分野では身体の介護から尊厳保持へ、環境の分野では公害の排除から環境の美化へ、国際の分野では日本の平和の確保から国際的友好へと理念が高まってきている。
このように、経済生活のレベルアップによってここ十年余りの間に、新しい公益への欲求が全国に広がり、大きなうねりとなったのであるが、その特徴を旧来の公益と比べて類型化すると、次のようになる。
旧来の公益は、国民の生存権の保障を中核とするのに対し、新しい公益は、市民の自己実現などの精神面を含めた人間性、あるいは人としての尊厳を確保することが核となる。
そのような公益の目的の違いから、公益の性質は、旧来の公益が生存に関わる基礎的、
物質的事項の実現であるのに対し、新しい公益は、精神的、文化的要素の強い事項を実現しようとすることとなる。したがって、旧来の公益が一般的で共通性を有するのに対し、新しい公益は個別的で多様である。
以上のような特徴に応じ、旧来の公益は、国家(地方自治体を含む)が公助の方式、つまり税金によって、定型的なやり方で実現することに適するのに対し、新しい公益は、NPO法人や公益法人などの民間非営利団体が、共助の方式によって、対象とする公益の性質に応じた、非定型的なやり方で実現することに適する。
ただし、実際には両者の間に位置するグレーゾーンの公益があり、その度合に応じて官と民が協働したり、補助したりしている。
2.新しい公益に対する官の対応
新しい公益は、国民、市民のニーズ、ウォンツであるから、官の動向如何に関わらず、民はこれを実現しようとする。とは言え、官が民のために法人制度や税制などで支援の仕組みを創ったり、あるいは資金面で支援したりするかどうかで、民の活動の伸展度は大いに異なる。NPO法人制度の設置がその好例である。
官がどの程度支援するかは、最終的には政治の判断になるが、2つのことを指摘しておきたい。
わが国の政治体制は、言うまでもなく民主主義体制であり、わが国(はじめ先進諸国)が民主主義体制を採っているのは、それが民意を実現するのに最適の仕組みだと考えられたからである。現実の政治がその理念どおりに行われていれば、民の総意が新しい公益の実現を求める段階に入っている以上、政治は、これを実現する方向で官を動かす筈である。現に、民意に敏感な首長を選んだ地方自治体においては、着々と新しい公益を実現する仕組みが創られている。これに対し、旧来の公益しか考えていない国や地方自治体については、民主主義の原理が十分には働いていないということになる。
もうひとつは、もっと重要なことであるが、国民は、公益の実現を求めて納税しているということである。したがって、国民が旧来の公益だけでなく、新しい公益の実現をも求める以上、税金は、そのためにも当然使われなければならない。
そして、官が自ら新しい公益を実現できないならば、これを実現するための活動に対しては、税制上の優遇措置及び負担金、助成金等の交付などの支援措置を採るのが、税を分配する者の義務であることをよく認識しなければならない。
3.官が後ろ向きなのは国民の幸福追求権の侵害
これまでに述べたような視点からみると、今回の公益法人改革における官の動きには、公務員(Public Servant)として相応しくないものが多々ある。
例えば、閣議あるいは有識者会議を実質的に誘導して、公益法人(やがてNPO法人にも及ぶことは必至であろう)が税制上の優遇措置を受けるまでに、3つ又は4つの関門を設けようとしていること(一般非営利法人の設立→公益性の認定→法人税等の支援措置→寄附金の損金算入等の支援措置)は、公益活動を行う民間人の団体活動に、これまで以上の関所を設けることとなる。
また、共助の活動を行う一般非営利法人についても、これに対する寄附金や会費を課税対象とし、また、公益法人についても、現在以上に要件を厳しくして課税の範囲を広げようとしている財務省の態度は、新しい公益の理解どころか、旧来の公益を実現するための民間活動の意義すら認めようとしないものと評するほかない。
日本国憲法が予定している官の姿は、政治が汲み上げる国民の意向に忠実に沿った政策を実施するというものである。国民が求めるのと正反対の方向に政策を誘導するのは、自己の権限拡大のために国民の幸福追求権(憲法13条)を阻害する、官の権限乱用行為にほかならないであろう。
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