いまの日本人は不幸だ。
これまでは完全に会社に依存する生活を送り、定年を迎えると依存するものがなくなって、極端な例では引きこもり老人になる人もいる。
かつては物質的に豊かではなく、高度経済成長とともに一所懸命働くことが幸せな時代であったが、いまは時代が変わって、必要なものはたいてい揃っている。もはや、がむしゃらに働くことだけが幸せだとは限らない。
しかし、仕事以外に、自分に幸せな場面を見つけているかというと、決してそうではない。それまで仕事を離れて、自分のやりたいことを考える機会がなかったから、新しい幸せの尺度が何かわからないのだ。
いま日本が迎えようとしている市民社会・高齢化社会では、自分の能力を活かして、社会の中でやりたいことを自由に行えることが基本にならねばならない。つまり、自分を活かす社会である。
もし仕事が生き甲斐だというのを変えられないのであれば、その人の能力に合った仕事を見つけられる社会にしていく必要がある。そのためには、企業も、年齢などではなく個人の能力ややり甲斐を基準に採用するように意識を変えねばならない。
仕事以外に楽しみを見出した人でも、やりたいことが自由にできるわけではない。年を取って体の自由がきかなくなってくると、好きなコンサートに行くのもままならない。
自分を活かす社会とは、他人に対してもやりたいことを認めることでもある。自分は自由にやって、まわりは知らないというのでは単なるエゴだ。自分の立場が強い人であればいいが、そうでない多くの人は、まわりの協力なしに自由に生きることはできない。お互いに助け合って、それぞれの人生を築いていく「共助」が必要になってくる。
これまでのように働くことが絶対の時代には、働くことは「自助」であり、働けなくなった後は年金などの「公助」を頼りにする。「自助」と「公助」だけの社会であった。これは人を働くか否かのみで分類する、あまりに経済偏重のギスギスした社会だ。
これからは、そうした線引きをしないで、誰もが助け、助けられる市民社会を考えなければいけない。もちろん自分のことは自分でやるのが基本だが、自分でやれないことがあったら、それをすべて政府に頼るのではなく、ボランティア活動のように助け合う「共助」の部分が必要だろう。
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