政治・経済・社会
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提言 政治・経済・社会

更新日:2016年3月3日

邪な陳情に適正な処分を

 大臣の首ひとつと引きかえに有能な閣僚だった甘利明議員の口利き疑惑は忘れられつつある。特捜部の動きも鈍い。

 しかしこの事件は、国民にも大きな宿題を残している。甘利氏は辞任の記者会見で言った。「いい人だけ付き合っているだけじゃあ選挙、落ちちゃうんですね」

 私たちは、悪い人とも付き合う人でないと選ばないのだろうか。「そんな個人的なことを頼みに来るのは遠慮してくれ。あなたのお金は受取れない」と言ったら、落選するのだろうか。

■見分け方 困難

 陳情処理のスタイルをつくり上げたのは、田中角栄氏だった。豪邸の応接室で何十人もの陳情をこなした。陳情者の目の前で担当の役人に電話して叱ってくれることもあるというので、陳情者は心酔した。現在もこのスタイルはかなりの議員に受け継がれている。地元の秘書の主な仕事は陳情処理という議員は与野党を問わない。

 もちろん陳情のすべてが悪いわけではない。行政は杓子定規で国民に対する“情け”を欠く措置をしたり、訴えを無視したりすることがある。そういう時に国民が議員を頼るのは責められないし、議員にとっても国政調査権の行使に備えて行政の実情と問題点を知るため、国民から事情を聴くことは大切なことである。行政に不当なことがあれば国会で国政調査権を行使するまでもなく、直接担当職員に注意喚起するのも職務の範囲であろう。相手が今回の都市再生機構(UR)のように、税金が投入されている機関の場合も同じである。税金が正しく使われるようチェックするのも、議員の任務に含まれるからである。

 問題は、個人の私利私欲のため、議員の影響力を使って正しい行政のあり方を曲げようとするような陳情である。これは絶対にしてはならない。

 ところが、した方が良い陳情としてはならない陳情の見分け方が難しい。

■議員の影響力

 行政は裁量の幅が大きく、その措置を決めるには多くの要素が絡み合うから、何が正しい措置かの判定は容易ではない。そこで多くの陳情者は、「あの議員(秘書)ならやってくれそう」となると、その正邪は考えずに陳情に及んでしまう。

 このような実情の中であっせん利得処罰法が採用した見分け方が、陳情者が陳情の見返りに金(利得)を差し出すか否かである。金を差し出すのは邪な個人的利益を得たいからであり、また、頼まれた方もお金を貰って動くのは個人的利益のためである(逆にお金を貰わないで動くのは、行政を正さなければならないという義憤に駆られた時である)という前提に立って、金(利得)を見返りとするあっせんを禁止した。違反した議員は懲役3年以下、秘書は2年以下、頼んだ方は1年以下と、刑の重さにも工夫がある。

 ただこの法律には、適用が難しい「(議員の)権限に基づく影響力を行使して」という文言が採用されている。

 これに該当する典型例は、議員か秘書が「このようにしてくれないなら議会で取り上げるぞ」と告げる例であるが、通常、議員も秘書も、行政にあっせんする時、そんな露骨な言い方はしない。しなくても、十分相手には通じるからである。

 議員や秘書が、身分を名乗って話を聞いてくれば、行政や公的機関の者は、一般の人には話さない事項も話さざるを得ない。議員と相手方が特別な関係にない限り、通常は「その権限に基づく影響力」を行使していると推定すべきであろう。

 捜査当局が「明白な証拠がない」という理由で捜査、起訴を避けている限り、邪な陳情に対する社会的制裁は行われず、そのような陳情をしてはならないという認識も広がらない。それでは政治家は社会にマイナスとなる陳情処理から足を洗えないことになる。甘利氏をめぐる事件の陳情は明らかに不当であり、適正な刑事処分が行われてこそ、国民の自覚を促すことになるだろう。

 ただ私は、国民の自覚は高まりつつあり、大多数の人たちは「議員には公の利益の実現のために働いてほしい、個人的利益のために時間を浪費しないでほしい」と願っていると認識している。それでも不心得者が現れた時は、上手に諭してお金の受領を拒否すれば納得するであろうし、それが確かな支持者を増やす道であると信じたいのだが、いかがであろうか。

(信濃毎日「多思彩々」2016.2.21掲載)
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