政治・経済・社会
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提言 政治・経済・社会

更新日:2016年12月26日

増大する不満 収める道は

 人は余裕がなくなれば排他的になる。中近東やアフリカなどの貧困地域で争いが絶えないのはそのせいだが、アメリカ、イギリスはじめ先進諸国でも余裕のない層が想像以上に増えてきていることが、昨今の政治情勢から明らかになった。

 その原因はグローバリズムやIT技術の発展に求められているが、さらにその源をたどれば発展途上国における人口の激増にいきつく。先進諸国の企業は、利潤を追求するその本質から、安い労働力を求めて発展途上国へと流出していく。また、それでも職を得られない現地の安い労働力、あるいはわずかな資源をめぐる争いで生活する地を奪われた労働力は、先進諸国へと流入してその労働者の職をおびやかす。これらは人々の生存欲と経済の利潤欲が結合して起きる自然な現象である。

 先進諸国で余裕を失った人々は、政治の力で国の壁を高くして経済と人の流れをせき止めようとするが、人の欲に逆らうことは難しい。少なくとも資本の流れは止まらない。モノやヒトの流れを無理に止めれば、先進諸国の進んだ製品の売り上げも減少するし、生活必需品の値上がりなども招く。先進諸国は不況に陥って不満や不安はさらに高まることになる。一方発展途上国で増える人々は出口を失って摩擦が高まる。その結果、世界は第3次世界大戦の危機に直面するかもしれない。

■労働への適正配分

 この事態を避けることはできないのか。

 わたしはかねて世界人口減少政策の必要性を説いている。地球資源の限界を考えれば、世界の適正人口は20億から30億であり、それを目指して国の壁(ヒト、モノ、カネの流れを阻止する壁)を廃止し、先進経済の恩恵を世界中に及ぼしていくという政策である。それにより世界中を少子化する。

 これが王道であって、日本はアメリカの新しい政策いかんにかかわらず、国を開き、交流する自由を可能な限り広める方向で、同調する諸国との連携を深めていくべきである。ここで揺らいではならない。

 ただ、この王道は世界大戦に向けて悪化する事態をせき止めるだけの効果しかなく、グローバル化が招く国内製造業などの衰退による失業や、IT技術の進歩などがもたらす国内格差問題は解決しない。それぞれの産業の競争力の差は縮まらないのである。

 となれば、一つには伝統的な対応策、所得分配を怠らないことである。ごく一部の人間が多くの富を独占するような制度はどう考えてもおかしい。もう一つは労働への配分である。労働(知能労働を含む)は、資本以上に生産に寄与しているのに、配分の適正な方程式ができていない。これだけ数字や統計が発達しているのに、どうしたことか。安倍首相に賃上げを促させていて、恥ずかしくないのか。

■いきがいの必要性

 しかし、これらオーソドックスな対応策以上に重要なのは、人々から必要とされ、やりがいのある仕事を創出し、余裕のない人々にいきがいをもたらすことであろう。

 人々は高賃金を求めてIT産業に群がるが、いくら科学技術が高度化しても、「人工知能は零から考え出すことや人の心を感じ取ることはできない」という限界が見えている。また、「食料やいのちは自然の力がなければ生み出せない」という限界もはっきりしている。

 これら科学技術の限界を超えて人としての能力を発揮し、人のニーズを満たす仕事は、高度な知能をもって挑戦するIT産業とは異なるいきがいを人にもたらす。

 その例を二つ挙げれば、1次産業の6次産業化。大地や海、川という場でままならぬ気象を相手にきめ細やかな食物の生産作業や加工作業を行い、その質を一段と高め多様化する作業は、日本の得意とするところである。日本の小規模な農・漁業を生産性に満ちた産業として世界に広めることは、いきがいと生活の質の向上、多くの職場と地方の活性化、そして自然の生産力の維持とを同時に世界にもたらすこととなる。

 もう一つは、人を対象とする介護や各種の支援活動、教育、コンサル、芸術と文化など心と感性が求められる事業である。

 世界的な規模でこれらの産業に人を誘導し、経済の循環によってこの部門を拡大し、共生の理念に基づいていきがいと安心のある世界を築くことが、増大している不満を収める唯一の方策ではなかろうか。

(信濃毎日新聞「多思彩々」2016.11.27掲載)
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