共助の活動は、簡単には広がらない。要支援者などの生活を助け合いで支えようという新地域支援事業に携わっている人々は、痛感していることだと思う。
それは当たり前で、共助(助け合い)は公助より弱い。公助は強制的に徴収される税金や公的保険金に支えられ、人材を集めた強固な行政組織によって、秩序正しく行われる。行政をコントロールする政治家たちは、票を獲得するため、国の借金に目をつむって公助にお金を注ぎ込もうとする。人々の志だけで行う共助が、強大な力で行われる公助に勝てるはずもなく、寄付者もボランティアも「その活動は行政がやっている」となると、たちまち引いてしまう。共助の団体をNGO(非政府組織)と呼ぶが、共助は政府がやらない分野でしか行われないのである。
共助は、自助にはもっと弱い。「自分でやれることは自分でやろう」というのが人の生き方の基本で、普遍の倫理として確立している。
自助の活動である企業の営利活動は、この倫理とその基礎にある人の利己心に支えられて、共助の分野に入り込んでいる。例えば、共助の配食活動も、営利の安価な食物提供事業に敗れつつある。
共助の団体をNPO(非営利組織)ともいうが、自助の営利活動が広がると共助は引くのである。
しかし、公助には税金や公的保険金の納入に限度があるという資金面の弱みがある。新地域支援事業は、この弱みから公助が引かざるを得なくなったため始まった。
自助の企業活動には、対価を払えない人(経済的自助能力の乏しい人)にはサービスを提供できないという構造的な弱みがある。
一方、競争力の弱い共助には、さほど資金がなくても、自助能力の乏しい人を含めてすべての人に温かいサービスを提供できるという強みがある。しかも提供者は無償で大きな生きがいを得られるという特典付きである。共助が人に幸せな暮らしをもたらす力は自助より大きく、ある範囲で公助に取って代わる力も持っているのである。
資本主義の進展につれ押しやられてきた共助の力を取り戻す時が来たといえよう。その尖兵である新地域支援事業を社会全体で支えていきたい。
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