多くの市民が将来に対する漠然とした不安を抱えて生きている。不安の正体は「人間らしい生活ができなくなるのではないか」ということであり、その原因は大きく二つあると思われる。
一つ目は、困った時の支えの弱体化である。
少子高齢化の進展で介護職など支える人材は足りなくなる一方であり、また、財政難は回復する見通しが立たず、介護保険制度の維持が困難になっている。年金の未来も不確かである。といって家族に頼るのは無理だから、若い人たちは貯金に励んでいるが、それで不安が消えるだろうか。
人材不足への対応は心ある外国人に移住してもらう以外に基本的解決策はないが、もちろんそれだけでは足りず、困った時に助け合い、相談し合って不安を分かつ、あたたかい人間関係の全国的な復活が求められる。助け合うのは人間の特質だからその道は今ならまだ可能であるが、自己責任絶対の競争社会が激化する中、助け合いを煩わしいと感じる人はますます増えており、道が閉ざされる期限は迫ってきている。民主導による国民模様の啓発活動が待ったなしであろう。
二つ目は、地方の消滅である。それは国の力の衰退であるとともに、豊かな自然の中で人間らしい生き方を楽しめる環境の消滅を意味する。
国はやっと地方創生に力を入れ始め、コロナ禍もあって若者の大都市志向に歯止めがかかる兆しも見える。限界に近づきつつある地方では自発的な地域づくりの動きが出始め、地域包括ケアも全国的に方向としては固まり、形もある程度見えるところまで来た。
しかし、地方消滅の流れは止まっていない。
地方に働きたい仕事が乏しいからである。耕作放棄地は増え、漁業の後継者難は深刻になるばかりなのに、若者はその仕事を選ばない。緊急対策として定住外国人を地方に誘導しつつ、第一次産業の復活と地方産業の振興を自治体主導、国のバックアップで強力に実践し、地方への移住を推進する必要がある。
頑張っている自治体はあるものの成果に結び付かないのは、その施策が住民の心に届かないからである。住民主体の地方再生活動を急がなければ間に合わない。住民は、わかれば動く。
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