政治・経済・社会
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提言 政治・経済・社会

更新日:2021年10月13日

生命を楽しむ社会へ支援を

 自民党は、より国民に近い党員の意向に配慮せず、刷新より安定の方向に向かう総裁を選んだ。

 これで総選挙で問われる政策が見えたのであるが、残念なのは、総選挙の結果が何であれ、政治は時の流れにも遅れ、国民の気持ちもくめていないことが明らかだからである。 日本は人口減少に転じたことで経済力や社会保障の能力が減退する局面に入り、次世代への借金も増え続けるばかりで、歯止めがかかる望みは持てない。政治はこの流れで安定しては困るのであるが、岸田文雄総裁は厳しい対応は言っていないし、諸野党の選挙公約も、減税やサービス充実を競うばかりで、その財源は、富裕層の負担増か将来世代への無責任な付け回しである。富裕層の負担増などやる気であれば、これまでにも十分その方向に動けたはずである。

 政治は、国民を、要求するだけの人間ばかりだと見ているとしか思えない。

■市民の共生社会

 自分という存在に誇りを持ち、自らも努力する一方で、困っている人を見捨てておけないという、普通に自立して社会生活を送っている市民は、国民の中でも相当数を占めると思う。彼らは日本が直面している厳しい状況を自覚しており、必要とあれば助け合う共助・共生の活動も、できる範囲でやることを拒まない精神を保持している。
 そういう市民の気持ちを恃んで、福祉分野あるいは社会分野の先進的な学習や有識者は、日本の先を覆う閉塞状況を打ち破る方向として、地域共生社会の形成、あるいはコモン(共同)の領域の拡大などを提唱している。その背景には、物の豊かさにこだわって経済競争に身をやつす生き方から、心豊かにすべての人のそれぞれの能力や意欲を認め、支え合って楽しく暮らす生き方への転換のすすめがある。
 そして、多くの市民がこれに共鳴し、共生社会をつくろうと動きだしている。厚労省が2015年に始めた日常生活支援の体制、つまり、各市町村に置かれた生活支援コーディネーターと協議体の働きかけで、各地に有償ボランティアなどによる生活支援の助け合い活動が誕生し始めているのである。もちろん働きかけは情報の提供によるきっかけづくりだけで、助け合いの活動自体は、市民、住民が自発的、主体的に行っている。
 ところが、政治には、国の活路を開くこの方向も、主体的に頑張る市民たちの心意気も、見えていない。
 もちろん資本のエゴが生み出す人間性を無視した競争によって生じた不合理な格差は、正されなければならない。それは個人の努力では是正できないことだから、政治の責務である。
 しかし、経済的な給付によって物質面で生活が可能となっただけでは、人の心は満たされない。餓死にひんしても生活保護を受けない人が存在するのは、人の矜持の重要性を示している。人は、人から認められなくては生きていけないのである。

■自己を肯定する

 志ある市民が共生社会を目指そうとするのは、すべての人に自己という存在を肯定する自尊感情を持って自分らしく生きてほしいし、自分もそういう社会でのびのびと生きたいと願うからである。
 政治には、その住民の気持ちを支え、目指す方向に動きやすくするように、後方から支援して、日本の活路を開く努力をすることが望まれる。
 その際、障がい者や認知症者、生活困窮者、刑を終了した者など、すべての人が偏見を持たれることなく生きていけるようにするために、政治と行政は、彼らがその能力を生かす社会環境づくりに努めてほしい。
 企業や団体にも、個々人の潜在能力に着目し、IT機器などで補強すれば健常者並の仕事をできる場はまだまだつくり出せる。働く場がなくても、地域の人々が動けば、彼らがさまざまな能力を発揮し、そこで認められて自己肯定感を持てるような場は、無限につくり出せる。
 現に認知症者が観光案内をしている地域もあるし、刑を終了した者が客に刑務所体験を話すのが売りになっている居酒屋もあるし、障がい者が食物や小物などの製作とか配達、接客、子どもの世話などをしている例は枚挙にいとまがない。地域の居場所で話を楽しむ障がい者も普通に見かける。
 一人残らず生命を楽しむ社会は、みんなが元気になれる社会である。それに向け、政治より先に市民が動きだしている。

(信濃毎日新聞「多思彩々」2021.10.3掲載)
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