政治・経済・社会
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提言 政治・経済・社会

更新日:2022年1月11日

こども家庭庁 果たす任務は

 昭和と共に世界の工業社会が終わろうとする頃、日本の経済力はその模倣力で頂点を迎えたが、情報社会の始まりと共に下降し始め、一時は1人当たりGDP(国内総生産)ランクで韓国に抜かれたりしており、上昇する気配はない。

 同じ頃から、日本の若者は知識量は豊かでも、課題を発見して自発的に解決する意欲、能力が乏しく、指示待ちになっているという指摘が、企業や大学側で強まり、総合的学習の時間の導入やテスト内容の改善など若干の対策も講じられたが、はかばかしい効果は上げていない。

 そこへもってきて英国のチャリティーズ・エイド・ファンデーション(CAF)という団体の今年の報告書によると、日本は、人助け度ランキングで、世界114カ国中の最下位だという。本当かと思うが「この1カ月の間に見知らぬ人を何回助けたか」と聞かれると、ウームとうなってしまう。

 生産の場では指示待ちで活力がなく、日々の生活の場では自分中心で助け合わないとなると、祖国日本の未来は、大丈夫なのか。

■自助と共助の力を

 検事生活後の30年をボランティア活動の普及にささげてきた身としては、人の本性が善であり、人が助け合いの遺伝子を持っていることは確信しているのであるが、現代日本の社会構造が人の優れた本性を発揮させず、自己責任で孤立する方向にどんどん進んでいるのではないかと心配になる。

 人間の場合でいえば、何十万年もの間、狩りや農業など協働生産活動を行う地域社会の中で、3世代同居家族が平均10人生まれる子どもたちを協働して養育するという育て方を身に付けてきた。

 子どもたちは家族のつながりの中でも地域のつながりの中でも、自分のしたいことと欲しいものを主張する自助の力を発揮しないと、生きていけなかった。といって自己主張ばかりしていると爪はじきにされるので、ほかの兄弟姉妹の主張も理解し、親や祖父母の役にも立つ共助の力を身に付けた。

 狩猟・農耕社会ではもちろん、商店等の規模の小さい初期市場社会においても、ご近所のつながりは濃く、子どもたちは、地域のつながりの中でも自助と共助の力、つまり人として生きる能力を伸ばしていったのである。

 それが、明治、大正、昭和を経て極端な少子・核家族社会となり、工業社会も成熟して地域のつながりが希薄になると、子どもたちは、自助と共助の力を伸ばす環境を失った。

 核家族の中で日々接するのが親だけという暮らしになると、親の多くは子どもを親の言い付けを守り学習に励むいい子に育てようとする。子どもたちは、多くの兄弟姉妹と競り合い、工夫して欲しいものを手に入れる体験もできず、いろいろな人を喜ばせる快感を味わう体験もできない。学習という自助努力をする喜びも、要求過剰になると苦痛に変じ、意欲を失わせる。

■地域で協働の試み

 人として生きる基本的な能力を身に付けるのに、乳幼児期の体験が決定的に重要であることが確認されている今日、乳幼児たちに、親や保育士など世話をする立場の人以外の大人たちや異年齢の子どもたちと接する機会を創り出すことが喫緊の課題となっている。

 といって大家族・農業共同体時代に戻ることは、人類進歩の針を逆に回すことになる。

 そこで、人間力育成環境の喪失という副作用の是正措置としてまず考えられるのは、地域に埋もれている協働の力を呼び起こすことである。わがさわやか福祉財団では、地域のシニアたちが乳幼児たちと”ともあそび”する機会を各地につくる試みを始めた。子どもの施設や町内の集会所、公園などに集って共に遊ぶ機会である。

 折しも子どものための総合施策を実施するための「こども家庭庁」設置を求める声に応じて、政府は「こども政策の新たな推進体制に関する基本方針」を閣議決定した。ただ残念ながら、幼児に対する就学前準備教育について触れただけで、子どもたちの幸せのためにも日本社会の活力回復のためにも重要な人間力の養成については方針を示していない。

 その養成環境の創出は、地域の協働力の復活とシニアの生きがいの実現という、大きな社会変革の一環として行わないと成功しない。

 子ども家庭庁の重要な任務として規定することが望まれる。

(信濃毎日新聞「多思彩々」2021.12.26掲載)
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