少子化が進んで働き手が減ると、社会の活力が弱まり、高齢者の介護も危うくなる。そのことが、やっと世間一般に実感され始めた。
だからといって、国民が、子ども子育て対策費を負担してくれるかどうかは分からない。ただ、子どもを育てる費用を、子どもたちにつけで負担させるようなことは、やってほしくない。
今国会には「こども家庭庁」設置法案が提出されており、世界の先進国にかなりの後れを取っている日本の子ども対策を、将来を支え得るレベルにまで前進させる絶好のチャンスである。しかし、中身のある政策をやろうとすると、その費用負担、つまり財源問題がネックになって、議論がまとまらない恐れが強い。
そこで、次善の策としては、こども家庭庁の権限の枠組みだけは大きく固めておいて、実際に何をどんな費用でやるかは、広く国民・市民の意見を聞き、その合意を得てから決めるやり方が考えられる。私は、日本の市民は、子どもの健全育成と少子化対策の重要性を納得すれば、必要な費用負担を覚悟すると信じているが、介護保険の時と違って、現状ではまだどんなことを国民の費用負担でする必要があるのかについての具体的イメージができていないと思うのである。
必要な具体策は、”万機公論”に決するとして、抽象的には、子どもを産みたい人が誰でも安心して産める環境をつくる政策が必要であろう。それには、すべての子どもが自立するまで健全に育つ権利を持つことを認めるのが最も有効だと考える。これを認めれば、国と社会が親を補って子どもを健全に育てる義務を負担してくれるから、親は安心して産めることになる。
そのための費用は、国(行政)も企業も一般国民も、それぞれの将来のために分担することが望ましい。そして、国民的議論のためあえて言えば、国民の負担は介護保険と連携した「子ども保険」がいいと考えている。
用途が明確であり、きめ細かく負担力に応じた額を設定できるからである。子どもは、誕生できるかどうかも、健全に育てられるかどうかも自分では決められないのだから、そのリスクを社会全体で負担するのは当然だと思うのである。
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