世界の先進国に比べて2周ほど遅れている日本の子ども・子育て政策。これを一挙に進める、めったにないチャンスが来ている。春の国会でこども家庭庁設置法やこども基本法が成立、その枠組みに乗ってどんな具体的政策を採用するかの検討が始まっているのである。
これまでやれていない政策は山ほどある。その実現にかかる費用については、国債を発行して子どもにつけを回すような無責任なことは許されないから、国民は、応分の負担をする覚悟が求められる。
しかし、国民はその覚悟をするだろうか。
状況は厳しい。介護保険は、すべての国民が大なり小なり抱える自らの老後の不安に応えるものであったが、子育てについてはもはや他人事という人もいる。経済状況も介護保険の時より格差が進んでいて、昨今は生活費に余裕がない非正規社員層が半分近くまで増えている。
では、貧しいために産みたい子も産めない日本のままでよいのか。たまたま貧しい親のもとに生まれてしまった子どもは、人並みに能力を伸ばす機会も与えられなくてよいのか。私たちは、子どもや孫たちに、そんな社会を残すのか。
■共感の遺伝子
人類は、いつの時代も、出産や子育てを親まかせにはしていない。協力する社会の規模や形は異なるとはいえ、子どもが元気に生まれ、社会の担い手としてすこやかに育つよう、その時々の社会の多くの人が協力している。だからこそ動物としては決して最強ではない人類が、ここまで繁栄しているのである。
しかし、昨今の日本では、子どもたちが、核家族化と地域コミュニティーの崩壊の中で多様な人と接する機会を奪われ、助け合い協力し合う能力を育てられないでいる。しかも相当な数の子どもたちが、格差社会の進行で人並みに生きるのに必要な自立能力も育てられない状況に追い込まれている。
今の子どもたちは私たちが育った時代とは異なる厳しい状況の中、人生の先に大きな希望も持てないでいる。その実情を認識すれば、たとえ子育てに縁のない人でも、私たちが残す未来社会をもっと希望の持てるものにしたいと思うのではないか。
そのように、誰もが持つ助け合いの遺伝子が目覚めると、あとは具体的に子どもたちのためにしたいことにさえ出会えば、そのための応分の負担をしようという気持ちになるのではなかろうか。私は、日本人の多くは、困っている人のために手をさしのべる人間性や共感力を持っていると信じている。
だから、衰退しつつある日本と国民の活力を取り戻すために今必要なのは、子どもたちを元気に育てる具体策である。
それは、子どもたちの個性、特性に応じて多様であるので、何にどう取り組むかは、幅広い国民的議論で決めていく必要がある。私たちがみんなで協力してどの子についても伸ばしていきたい能力として、この段階で包括的に言えるのは、自分で頑張る力と助け合う力であろう。
頑張る力(自助の力)は、好きなことをしていれば自然に身に付いてくる。能力が身に付けば、それを発揮したくなるし、それを人が認めてくれれば、うれしくなり自信が芽生える。この自己肯定感が、子どもが生涯伸びていく原動力になる。
助け合う力(共感力。共助・共生の力)は、人と交わり協働することの喜びを体験することによって身に付く。
この二つの基礎的な能力(合わせて、人間力。あるいは、生きる力)を育んだ人物が、新しい社会を生み出し、人と国とに幸せや活力をもたらすのである。
■応分の負担を
すべての子どもにそういう人間力を身に付けることができる社会環境をつくることの重要性は、いくら強調してもし過ぎることはないであろう。
そして、そういう社会環境をつくるために応分の負担ができることは、自分の生きていることの価値を感じさせてくれる最高のものであろう。
私自身が真っ先に欲しいのは、子どもたちの懐妊時から、一人ひとりの子どもとその親に付いてくれる子育て伴走人の仕組みである。伴走人は、その子をどこで産むか、産んだ後どんなサービスを利用するか、育児休業の交渉、子どもと地域の交わる場の仲介など何でも助けてくれるし、子どもの声も聞いてくれる。そうなれば誰でも安心して子どもを産めるのではなかろうか。
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