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提言 世界
更新日:2006年11月17日
適正人口の実現
  地球に住む生物としての人類の、適正な人口はどれぐらいであろうか。
  その数は、資源が持続可能であることを前提として、地球の資源から人類が必要とする食糧、エネルギーその他の生産物が何人分生み出せるかによって決まるであろう。人類がどれだけの生産物を必要とするかは、その時点における人類の生活レベルによるから、数字にはかなりの幅があるのであろうが、直感的に言って、その数は、20億から30億くらいのように思う。それぐらいに止まっていれば、すべての人類がある程度のゆとりを持って生き続けることができるのではなかろうか。
  適正人口の推計は、専門家たちにまかせるとして、現在の65億はあまりに多い。なにしろ200年前には10億しかいなかったのである。各国の経済レベルが上がって全員が日本人並みに肉や魚を食べ出せば、あっという間に動物性蛋白質の資源が枯渇するであろう。
  私たちは、世界の経済レベルが上昇する前に、大急ぎで世界人口を減らさなければならない。
  その目的からすれば、少子化は好ましい現象である。
  問題は、先進諸国だけに合計特殊出生率2を切る少子化が続いていて、ほとんどの発展途上国では、依然として多産現象が続いていることである。そして、先進国の援助などにより多死現象は減りつつあるため、発展途上国では人口が爆発的に増加している。
  それらの国々も、経済が発展するにつれ少子化へと移行するであろうから、やがては世界中が少子化の道をたどり、何世紀か後には、世界人口20億に収まるよき時代を迎えるのであろう。ただ、現在のような人口の国際間移動が少ない状況を前提にして推計すれば、人口が20億規模になる頃には、発展途上国の人々の子孫の数が、先進諸国の人々の子孫の数より、圧倒的に比率が高い人口構成になっている。
  そういう現象は、ナショナリズムあるいは民族主義の感覚が強い人には、顔をしかめたくなるものであろう。しかし、これは、先進諸国と発展途上国の間に少子化のギャップがある以上、必然的に起きる現象である。
  これに対する答は、アメリカ社会が出してくれている。
  つい半世紀前、アメリカでは、白人とアフリカ系移民との結婚は社会的タブーであり、南部などでは、バスやレストランでの同席すら、法的タブーであった。それが、公民権法の運用が強化されるにつれ、タブーは消滅していき、わずか20年か30年の間に、両者の結婚はごく普通の出来事となった。理性が不当な差別感覚に勝ち、やがて感覚自体が消えていったのである。
  日本でも、もう20年も前から、若い女性がアフリカ系の若者と誇らしげに腕を組んで闊歩する姿は珍しいものではなくなっている。人種や国籍などによって差別しないという、日本国憲法に定められた当然の倫理が、感覚的にも受け入れられているのである。
  このような社会の変化を見れば、あと半世紀もしないうちに、国別あるいは民族別の人口構成比率の変化などは何ら問題としない日本になるであろう。
  そうであるならば、日本は、今から発展途上国からの移民受け入れを広げた方がよい。それが、少子化問題、つまり年金その他の社会保障の先細り問題への確実な対応策となる。経済にとってもよい。
  そのうち発展途上国も少子化が進み始めると、その国民を移民に出せなくなってくる。今は、受け入れる移民を選ぶことができる。現代社会で唯一差別が許容されている分野である。差別して受け入れ、受け入れ後は差別しない。将来を考え、強い覚悟で移民受け入れ政策をとる時だと思う。
(電気新聞 時評「ウェーブ」2006年11月13日掲載)
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