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提言 世界
更新日:2017年12月13日
国際社会形成も助け合いで

 動物にはそれぞれの生き方があるが、人はそれぞれの個性を生かしながら、社会をつくり、助け合って生きる動物である。
 ところが、社会が複雑化し、しかもグローバル化が進んで社会の規模が拡大するにつれ、生き方の基本を忘れて漂流する不安な社会になってきている。
 科学文明が進歩するのはもちろん好ましいことではあるが、子どもたちは知識の習得競争に駆り立てられ、人として助け合う共感の育成の機会を奪われている。いくら知識を習得してもコンピューターにかなうはずはなく、それよりコンピューターを使いこなす全人格的視野と人としての豊かな情感こそ必要なのに、教育がその基本を見失って不幸な歪みが生じている。

■広がる格差社会

 青年や成人たちは、広がる格差社会に苦しめられている。
 経済の目的は、人が能力を生かして生産した物を、それぞれの人の生活に生かすことであろう。企業が利潤を上げることや一国のGDP(国内総生産)が向上することは、その最終目的ではない。しかし、この分野でも基本は忘却され、人間は機械と同列に扱われて生産性のみを問われ、非人間的な労働や無情な脱落に追い込まれる。企業中心の社会を人間中心の社会へ大胆に切り替えなければ、悲劇や不幸はなくならないであろう。
 企業中心社会の欠陥を補う税制も基本を見失っている。
 税の基本は分かち合いであって、多く持てるものは多く出すのが当然の原理である。それには所得税、法人税が適しているが、国際競争の激化につれ、富裕層に甘くなり、消費税・付加価値税に重点が移っている。基本に戻るべく国際間で良識ある話し合いを始めなければ、不当に虐げられた人々の反乱が起きるであろう。過激派組織「イスラム国」(IS)の台頭は、その警告と受け止めねばならない。
 高齢者に目を移せば、多くの高齢者はその能力を生かす場を奪われている。人にとって身体的苦痛に次ぐ大きな不幸は、人から認められない不幸である。人生の終わりの段階にある人を、社会的な居場所のない寂しさに追い込んではならない。
 高齢者に対する医療の目的を、治療から、その人らしい生き方を支えることに移し、社会全般で支えながら、その能力を好むがままに発揮してもらう。そこまでやってこそ、人類の人類らしい社会が実現したと評することができるのだろう。

■国が生きる基本

 国際社会においても、各国の生き方(存続と発展)の基本は、個人の場合とほぼ同じである。
 人類の歴史が現代に進んで世界が大きな一つの社会と認識されるまでの段階では、個人にとってそれぞれの国が社会の大きな枠であり、助け合いはその枠の中で行われ、他国は無関係な地域か外敵であった。その結果、領土や人の奪い合いが起き、悲惨な第1次及び第2次の世界大戦が勃発した。
 二つの不幸な体験は、人類にとって世界は一つであるとの認識をもたらした。そして国連憲章は、各国は対等であること(大小各国の同権)、それぞれの個性に従い自由に存続できること(加盟国の主権)、人民の同権及び自決の原則の尊重を基礎とする諸国間の友好関係の発展など国としての存続の仕方の基本を打ち立てたのである。つまり、国は、それぞれの特性を生かしながら、国際社会の中で助け合って存続していくということである。
 しかし、人の場合ですら基本を忘れがちなのに、国の場合は、国際社会の形成が人間関係の形成よりもはるかに遅いだけに、基本を忘れ、露骨に無視する事態がしばしば起きる。第2次大戦後も、世界各地で発生した局地戦争がそれであるが、これまでは、先進民主主義国による抑制によって、世界大戦に拡大するのを防いできた。
 そして、経済関係のグローバル化やEU(欧州連合)の形成を典型とする国家間交流の進展により少しずつ基本原則の実現に向かうかと思いきや、今回の北朝鮮をめぐる武力行使の威嚇や中国の海洋進出問題である。
 ここは、基本を忘れてはならない。世界をリードすべき先進民主主義国のアメリカや日本はなおさらである。北朝鮮もアメリカを核攻撃するのが最終目的でないことは明らかだから、基本に立ち返って話し合えば、「善良な隣人として互いに平和に生活」(国連憲章前文)することを可能とする道は必ず見つかる。現に人同士の間ではその道を見つけているからである。

(信濃毎日 2017.11.26掲載)
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