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提言 世界
更新日:2020年5月26日
感染症の挑戦に勝つ体制を

 新型コロナウイルス禍は新しい感染症の人類に対する挑戦である。私たちはこれを退けるとともに、今後増える恐れの強い別種の感染症の挑戦に打ち勝つ体制を整える必要があるだろう。

■国際機関が必要

 対策のための臨時世界政府の樹立を求める提言があったが、世界的な危機に対し、国を拘束する決定を下して執行できる国際機関をつくる必要があるのであろう。それは事態に応じWHO(世界保健機関)の権限拡大でもよいし、国連安保理に優越する国連の組織でもよい。各国の情報の共有と、それに基づく各国資源の世界的有効活用が、人類全体の効率的な勝利をもたらすであろう。その体制は、戦争回避や環境危機対応にも生かされる基盤になると期待される。
 コロナ禍が峠を越せば、欧州あたりの国や識者から、世界体制づくりの提言が真摯に出てくる可能性がある。その際日本は、米中に遠慮せず提言に加わってほしい。
 いずれワクチンは開発されるであろうが、そうなっても安心せず、対処方法不明の感染症が出現した時の諸国の対応ぶりとその効果を実証的に研究し、どの事態でどんな対策を採るのがもっとも有効かを世界のマニュアルにしておく必要がある。
 今回は「ともかく人と接触しないこと」という原始的方法が基本対策だと確認されつつあるようであるが、日本が採用した自粛要請という手法が欧米の一部メディアの批判を浴びた。私は何でも権利義務関係で解決しようとして義務違反に制裁を科する関係よりは、各人が他者を慮って合理的範囲で自制する文化の方が人権尊重の面で優れていると思うのであるが、その文化の基礎が主体的判断をせず他に同調する気風である時は、国が戦争ムードに駆り立てる事態になった時危うい。あくまでも人の共生・利他の心に基づく自粛であってほしい。
 とはいえ、効果的な対策と人権との調和は、難しい。たとえばプライバシーとの関係では、感染者の氏名や行動等の公開問題がある。私は、氏名等人を特定する事項は秘匿しつつ、感染後の行動経路は、速やかに公にすべきだと思う。その手法が効果的であった他国の例が伝えられている。
 職業の自由を制限する営業自粛に対する補償問題も微妙であるが、人の接触制限が基本的対策である時は、財政、経済事情を理由にためらうべきではないだろう。人名に勝る法益はない。
 ただ、現状以上につけを子孫に回すのは内心忸怩たるものがある。平常に戻った時の穴埋め対策も考えた公の議論を早急に尽くした上で、思い切って対策費を使うのがいいように思う。

■どの生命救うか

 究極の人権問題は、生命の選択(トリアージ)である。医療崩壊に至ると、医師は、どの生命を優先して救うかという誠に厳しい選択を迫られるが、その判断基準について国民的合意ができていないと、医療従事者はつらい。世界の実例を集めて人類共有の考え方を樹立することが望まれるが、私は、その基準は個々の生命の優劣であってはならず、その生命を医療的措置によって救い得る医療の有効性の多寡であるべきだと考えている。世の中には、武士道、騎士道の精神や人間愛、利他の心に基づいて救われる機会を他に譲る美談が伝えられているが、そういう文化を含めて国民的議論が要るのではないか。
 出勤の自粛要請がもたらしたテレワークを、これからの働き方改革につなげてほしいと思う。
 東京への一極集中と地方の衰退は進む一方であるが、1990年代、その解決策として地方在住の在宅勤務の推進に官民あげて取り組んだことがある。いつの間にか勢いがなくなったがツールも進歩しており、今回のテレワークで人々が慣れれば、自然環境が良く物価の安い地方に住んで東京の会社で働くスタイルが普及する可能性がある。
 もう一つ私が期待しているのは、共生社会の復活である。
 人類は、過酷な自然環境を人々の助け合い(協同作業)によって克服し、発展してきた。その協同作業は、機械文明の発展により個人主義を基盤とする極端な分業の方向に進んできたが、モノの生産等はそれでよいとしても、心の交流や生活の安心等がもたらす充足感までが失われたのでは、人は幸せになれない。自粛生活の不便を人々が自然な助け合いで解決し、支え合って暮らす安心感を復活できるかが問われているだろう。

(信濃毎日新聞「多思彩々」2020.4.19掲載)
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