鈴木貫太郎内閣成立/戦艦大和、撃沈される/沖縄に米軍の猛攻続く
堀田 力〔弁護士〕 当時10歳・兵庫県浜坂 母の実家に疎開 国民学校四年生
兵庫県に疎開していたときは、叔母にくっついて、ふきを採りに行って。ふきって苦いんですよね。苦くて水っぽい。それが主食ですから。そのころは、お腹空くからそれで食べていたんですけど、戦争が終わって、いまはふきを見るとゾッとするくらい嫌な感じしますね。
浜坂は漁師町ですけど、魚なんてとても口に入らなかった。買えなかったんだと思いますね。漁師さんたちがほかに売っちゃって、自分たちだって食べられなかったかもしれませんね。ですから、魚の、小さな魚を、それでも開いて、干して、これは漁村で干してるんですけど、それに群がってハエが卵を産むんですよね。黄色い卵が盛り上がるようにいっぱいついた干し魚で、それはさすがに売れないから、捨ててします。それを拾ってきて、ハエの卵を洗って洗って洗い落として、焼いて食べる。でもなんか、すごく舌を刺すんですよね、魚が。もちろん臭い。どんなに焼いても臭い。それでもバリバリに焼いて食べてましたね。
私はご飯を炊く係りやってましたからね、ずるいんですけど、バリバリにおこげをつくっちゃって、叔母がすくえないくらい釜にこびりつかせてて、そして、その釜を洗う係りも私でしたから、これ洗うときに水を入れて、こげついた真っ黒になってるごはんですから、これを削ぎ取って食べてましたね。
よその家でサツマイモを蒸かしたのを干してるんですね。これを「芋するめ」と言ってましたけどね、これがもう飴色になっておいしそうなんですよ。干してあって。なんとしても生唾が出てくるわけですね、そこを通ると。子どもたちが、その家の前を通ると。
あれを盗もうという話になって、盗んだことありますね。盗んでとっ捕まってたらもうぶん殴られますからね。友だちはいますぐにでもやりたかったんだろうけど、待てということで、チームをつくって、その家の人の行動パターンを観察して、この時間なら大丈夫というので、大丈夫な時間帯をつくって、いちばん足の速いやつがサッと持ったら、みんなでサッと逃げる。立てたプラン通りに芋するめを何枚か失敬して、ひとり一枚くらいずつ食べたんですかね。河原でね。いやあ、美味かったですね、これは。本当に。あんなにおいしいものっていうのは、その後もないですね。
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