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つれづれタイム
更新日:2005年9月16日
快い眠りまで
 職員数が五〇名を超える貧乏財団を率いていると、悩みの種はつきない。
 資金切れはしょっちゅうで、突然の退職、仲間うちのもめごと、行政からのクレーム、約束の不履行、予定した事業の挫折、マスコミのいわれなき非難などなど、難題の二つや三つ、抱えているのが当たり前という状態である。わがさわやか福祉財団がいい加減だということでは決してない。半分以上はボランティアの職員たちだがみんなやる気満々で、自慢ではないがNPOからも行政や企業からも高い評価を頂戴しているわが財団である。いけないのは、私が文書係長の役から経理の相談役まで頼まれれば何でも引き受け、山ほどあちこちの審議会や委員会の委員を務めていることで、その上常時何本かの原稿の期限が迫っている状態では、難しい宿題がない方がおかしいということになる。
 そういう中で、どこに「喜」があるのか。
 これが、実は喜びがいっぱいなのだ。
 若かりし頃、山中鹿之助に憧れていた。山頂から三日月にむかい、「我に七難八苦を与え給え」と祈願した姿を思うと、心がふるえた。難題を課せられるというのは、自分の能力を試す絶好のチャンスを与えられたということである。渾身の力をこめて挑戦すれば、自分の持つ能力以上の力が発揮され、それによって自分の能力は飛躍する。成功すれば自信がつき、失敗しても学んだ経験が身に付く。そういう考えで、毎朝、抱えている宿題を整理し、鏡の自分に向かって「よし、やろう」と気合いをかける。心が前向きになる。
 そして、何とか宿題をこなして帰宅し、風呂から上がると、鏡の自分に「よしよし、よく頑張ったね」とほほ笑みかける。
 それから飲む小さなグラス半分の梅酒は、この上ない喜びを心に染み渡らせてくれる。やがておとずれる快い眠り。オヤスミナサイ。
(フォーブス日本版掲載/2005年8月)
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