わたしの健康法は、まことにハタ迷惑なものである。びっしりと仕事を入れ、周りの人に、「頼んだ仕事、まだ?」などとせかしながら、次から次へとこなしていく─これが、実は私の健康法なのである。
どうしてそんなことが健康法になるのか、それではストレスがたまるばかりではないか。しかり、周りの人のストレスはたまるのであるが、私のストレスは解消する。私の身体は、そういう構造になっているのである。そんな特殊な構造になったのには、ワケがある。
私は、ロッキード事件公判担当中の昭和五十三年暮れ、胃潰瘍の手術をした。ストレスがたまった結果であるが、被告や弁護士らに知られたくないので、冬期休暇中に手術し、年明けの公判には何食わぬ顔で検事席についた。このことは、小説「否認」のあとがきに書いて公にしたが、実はこの手術、当時としては最新技術を用いたものであった。
医師によれば、潰瘍の原因は厳しい裁判のストレスから来るものであるから、胃を切り取っても、裁判が続く限りは、また潰瘍が出来るに違いない、ということである。
刺激のため胃の神経が緊張し、そのため胃液が出過ぎて、それが胃壁まで溶かそうとする。だから、刺激があってもそれが胃に伝わらないように、胃に入っている神経を切り取って鈍感にする必要がある。ヨーロッパで始まったばかりというその手術をしてもらって、私の胃は鈍感になった。
以後快適で、酒もステーキも元どおり楽しめるようになったが、ロッキード事件の求刑を終え、法務省に転じたあと、問題が生じた。急に消化力が落ちて、毎日胃が重く、気分がどうもすっきりしないのである。医者にきくと、強い刺激があってちょうどよい消化力になる程度に神経を刈り込んだのだから、刺激が弱まると胃液の分泌量が落ちるのは当たり前だとか。
かくて私は、胃の調子を保持するため、常に自分に強い刺激を与え続けなければならないという宿命を背負わされたのである。
「早く、早く」とせかされる私の周りの皆々様、そういうわけだから、どうか私をお許し下さい。私は、やむなく「せかす上司」をやっているのであります。
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