「身体が痛くて、もうダメ」と、床の上で暮らすおばあさんがこぼす。
「いくら探しても仕事はないし、仮設住宅に入って食事が出なくなったら、どうして家族に食べさせようか」。50代の元漁業の男性は、やつれた顔に不安がいっぱい。
「仮設は2年が期限だというし、元の町に帰れるかどうかもわからない。先が見えないと、心が真っ暗闇で、毎日元気が抜けていく。歩くのもだるい」と、これも50代のご夫婦。
震災地は、ガレキの数ほど問題を抱え、自治体職員は疲れ切って問題に対応する気力を失っている。
日本の政治家は何をしているのだろう。
体育館などでの非人道的な生活から一日でも早く抜け出すには、仮設住宅の建設を急がなければならない。それを適切に行うには、用地の確保、仮設の生活やケアを支えるサービスの確保、仮設の生活と復興後のまちづくりの連続性を確保するプラン、入居者の決定などなど、手間のかかる作業を一つ一つこなしていかなければならない。
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行政が硬直して進まない時は、政治家の出番である。用地をあっせんする。サービスについては、既存の事業者の復活を支援しつつ、NPOや企業の新規導入を図り、調整する。不足する医師、看護師や介護関係者の確保のため、全国に働きかける。
特に、震災で職を失った人が痛切に求めているのは、職である。
善意の経営者が工夫しているが、圧倒的に少なく、探すにもハローワークは遠い。
生活の不安に加え、生活再建の道がまったく見えない不安が重く重くのしかかる。
なぜ復興計画を早く立てないのだろう。
それが立てば、住民は自分の生活再建に夢を持つことができる。夢は元気を生む。
また、復興計画の実施は、大きな労働需要を生み出す。雇用についても計画に組み込み、被災者たちが働きながら自分たちの住む町をつくり、復興したあとの職と生活につなげる。
それらの作業を行政任せにすると、よほど有能な自治体以外は、容易には進まない。国も県も、市町村の事務に口出しはし難いから、住民たちは無駄に待たされ、無気力になり、利己的になっていく。
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住民の意見を徹底的に聞くことである。住民たちが意見を交わし、希望を持ってわが町の再生に取り組めるよう、力を引き出すことである。復興の力はそこから生まれる。
それらは、与野党を問わず政治家の仕事である。国を愛し、国民を守る使命を自覚しているなら、矢も楯もたまらず、被災地に入り、被災者の声を聞くため走りまわり、それを復興プランにまとめ、国や県や市町村に働きかけているであろう。また、仮設住宅が復興に繋がるよう建設し、少しでも多く働き口が創り出されるよう、智恵を出し、汗を流すであろう。
それをしていない政治家が、菅総理の震災対策が遅いから交代せよと責め立て、貴重な時間を浪費する。被災地をまわり、復興支援のボランティア活動をしている私は、怒りを超え、日本の政治に絶望を感じ始めている。国会には、国と国民を思う政治家はいないのだろうか。
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