政治・経済・社会
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定期連載 学びの時評
更新日:2005年9月16日
少子化対応の子育てを

 狼(おおかみ)の子であろうとハイエナの子であろうと、子どもは文句なしにかわいい。目がクリッとして、まだ足元もおぼつかないのがおっかけっこをし、じゃれあい、噛(か)みついたり押さえ込んだりしている。その遊び自体が、群れの関係をつくる学習になり、狩りの学習になるのだという。
 どの動物も、発生以来、自分たちの種の存続にとってもっとも適した子どもの産み方、育て方を選択してきたに違いない。そういう視点からいうと、人類にとってもっとも適切な子づくり、子育ては、少し前までは、おおよそ十人の子どもを順次産み、思春期のころまで家族で育てるというやり方であったと考えられる。もちろんその前提には、自然界における人の死のリスクが計算されている。
 人類は、ここ二世紀ほどの間に、その知恵で、死のリスクを格段に減らし、減らした先進国から順に、少子化を進めた。二人プラスアルファを産むというのが、人類の新しい選択であり、そのこと自体は、歴史的な進歩であるといえよう。
 しかしながら、子づくりの方は意識的に新しい選択をしたのに、それに対応する子育てのあり方についての研究が遅れている。特に、日本では、「自立と共生」を生き方、社会のつくり方の基本原理とするという意識改革が必ずしも十分でないため、少子化に対応する子育てのあり方の遅れが目立つように思う。
 かつて私は文部省(当時)のある懇談会の委員をしていたが、そこで日本の教育の劣化が問題となった。教育学の大御所が「それはひとえに日本の家庭教育がなっていないからだ」と発言したら、PTA系統の委員が「とんでもない。それは学校教育がだめだからだ」と反論して、緊迫したことがあった。
 私は発言しなかったが、その後もいろいろ学んだ結果、原因は少子化への対応不十分だと考えるようになった。
 そう考えてみれば対応策は単純で、幼いころから、年の違う子どもどうしで遊ぶ環境をつくり出していけばよいのである。そうして遊ぶうち、主張して頑張らないと楽しくないということ(自立)も自然に学ぶし、といってわがままばかりいっていては、仲間とうまくやっていけず、やっぱり楽しくないということ(共生)も学ぶ。強さとやさしさが身につくのである。最近、そういう場をつくろうという動きが地域社会の中で出始めている。もっともっと広がってほしいと思う。

(読売新聞掲載/2004年4月26日)
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