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定期連載 学びの時評
更新日:2005年9月16日
識字率より眼の輝きを

 まだ文部省だった時代のことであるが、教育に関する国際会議に出席したあるNPOの代表が、こんな感想を話した。
 「いやぁ、私は日本人としてほんとに恥ずかしかったですよ。世界から集まった教育者たちが、どのようにして子どもたちをいきいきと学ばせようかと一生懸命議論している時に、日本の文部省のお役人が『日本の教育には大きな問題はない。識字率は世界一だ』みたいなことを、細かい数字をあげてとうとうと述べたんですよ。私は世界の仲間たちに顔を合わせられませんでした」
 彼の恥ずかしさが実感できるであろうか。実感できれば、教育行政の責任者が「日本の教育においても競争意識を高めて、学力を向上させたい」などと言った時、ちょっと違うのではないかと思うのではなかろうか。
 日本全体の学力を高めることにどんな意味があるのであろう。
 識字率の高さを誇るというのは、にわか成り金が金をみせびらかすようなもので、教育に対する認識の浅薄さを自ら露呈するようなものである。
 誇るべきは、すべての子どもたちが、未来に夢を持ち、自分の生命を大切にして、いきいきと活動していることである。
 誇るべきは、生徒や学生が、眼を輝かせて授業を吸収し、自らの頭で考えることである。
 誇るべきは、就職した若者が、学校で学び、育(はぐく)んだ自分の能力をさらに伸ばそうと、積極的に仕事に取り組むことである。
 悲しむべきは、多くの子どもたちが、自分の存在意義を肯定できないでいることである。
 悲しむべきは、多くの子どもたちが、学ぶことの喜びを実感していないことである。
 悲しむべきは、職に就いて自分の能力を生かそうとする意欲に欠ける若者が、少なくないことである。
 これらの悲しむべき事態を解消するのに、学力テストの成績を上げることがいささかなりとも貢献するであろうか。
 あるいは、識字率が高ければ、これらの事態は放置しておいてよいのであろうか。
 私は、種子島の高校で講演したことがあるが、生徒たちは驚くほど真剣に私の話を聞いてくれた。学生に対する講演で、あれだけ話に反応を示してくれたのは、他にはない。
 「ここの子どもたちは、とても素直で、人に優しいし、勉強も家の手伝いもすすんでやります」と校長先生は誇らしげだった。それから、残念そうな表情になって、「しかし、この島を出て都会に出ると、心を傷つけられて帰ってくる子が少なくないのです」と言われた。
 素朴な生徒たちの善意を裏切る都会の仲間たちの、心の荒れ模様が悲しい。

(読売新聞掲載/2004年12月6日)
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