政治・経済・社会
(財)さわやか福祉財団ホームページへ
 
定期連載 多思彩々

更新日:2014年6月18日

地域で助け合うための覚悟

 福祉は地域の時代を迎えた。
 要支援者と呼ばれる、身体の不自由度の比較的軽い人たちに対する生活支援は、介護保険制度によるサービスから外され、市町村の責任で、地域の助け合いによって支えることになる。
子育ての制度が大きく変わる中で、子育てに地域の力を活用するため「地域子育て支援拠点事業」が始まっている。
 新しくスタートする生活困窮者支援制度は、引きこもりの人などが社会で暮らす力を付ける仕組みであるが、これは地域の人々が真剣に協力しないとうまくいかない。障がい者を支えるのも地域の共助の力で−と、これも昨年法律が変わった。
 しかし、地域にそれだけの助け合う力があるのだろうか。
 これは、創り出していくほかないだろう。創り出した方が地域に住むみんなが幸せになれるからである。

 ■市民の覚悟

 そのためには、地域に暮らす人々は、この機会に三つの覚悟をする必要があると考える。
 第一に、「ゆりかごから墓場まで、地域で助け合って暮らす」覚悟である。
 想像もできない長い年月、世界中の人類は、そうして暮らしてきた。ここ1、2世紀の資本主義体制の下、「自助・自立」絶対の方向へ針はぶれたが、グローバル経済の非人間性が「温かい共助の必要性」を教えてくれている。
 生れてから死ぬまでどんな暮らしをしていても、心の通う助け合いは心豊かな人の暮らしに不可欠なのである。
 第二に、「暮らす地域に困っている人がいれば、どんな人であっても手を差し伸べる」覚悟である。
 身分制度の下では、共助の輪は同族、同類に限られていたが、個人主義が確立した今、共助の輪は人を問わず、地域に暮らす人すべてに広がっている。日本に暮らしたアジアの人が「日本人は優しかった」と懐かしむのを聞くと、ほっとする。これから創り出していく地域の絆は人を問わない、人への共感である。
 第三に、「地域社会に役立つ限り、役に立って生きる」覚悟である。
 「利他」に生きようなどと高尚なことを言うのではない。自らの能力を生かして人に役立ち、人から認められることが、自分の生きがいを生み出す。自助自立絶対の人が稼ぐために熱中している仕事だって、人に役立つものだからこそ稼ぎになるのである。仕事から退いた後、人に役立つことなく生きる人生は空しい。人の社会に生きている限り、やれることをやって役立つのが当然の生き方であろう。

 ■行政の覚悟

 ここまで、地域の時代における住民、市民側の覚悟を述べたが、地域に福祉を託す行政にも覚悟が要る。
 第一に、「住民と同じ目線にたち、住民を立てて後押しする」覚悟である。地域の住民は受託者ではないから、命令では動かないし、仕切れない。志で動く人たちだから気持ちが乗ればすごいことをやるが、気に食わないと突っかかる。どう関係を築くか。手腕の見せどころであり、うまく協働できて多くの笑顔が生まれれば、こんなに楽しい仕事はない。
 第二に、「タテ割りでなく、地域の助け合いを丸ごと受け入れる」覚悟である。
地域の助け合いにタテ割りはない。高齢者も子どもも障がい者も、認知症者も生活困窮者もひっくるめて、そこに困っている人がいれば助けるのが地域である。見守り活動も防災活動も対象を限定しないし、家事援助、外出支援、配食サービスも同じである。居場所や地域通貨、有償ボランティアなども対象を限定したのではうまくいかない。
 配分されている職責と予算を超えた総合的なプロジェクトを組む工夫が必要である。
 第三に、「助ける方と助けられる方を分けない」覚悟である。
 人はサービスを受けて身体能力を補充し、自ら人に役立つことをして精神能力を高める。その両方が行われている地域の活動を丸ごと支援する必要がある。
 目指すのは、日常の助け合いのある地縁組織(町内会、地域協議会など)と、配食、移動など特定の分野で助け合うNPOなどがネットワークを組み、広く深く支え合う地域社会である。
 時代をもう一段前に進めたい。

(信濃毎日新聞「多思彩々」2014.6.15掲載)

バックナンバー   一覧へ
 [日付は更新日]
2014年 4月12日 戦争を遠ざける道
  このページの先頭へ
堀田ドットネット サイトマップ トップページへ