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定期連載 多思彩々

更新日:2017年9月6日

「こども保険」社会の責任で

 小泉進次郎衆院議員らが提言している「こども保険」は、あまり支持されているようには思えない。社会保険の保険料に子どもの養育費などを上積み徴収するというのであるが、子ども・子育て問題には介護問題ほどの切実感がない。その上、子育てのリスクが保険になじむのかという疑問があるからである。

■少子化と貧困

 しかし、子ども・子育て問題は、社会的には少子化問題である。親が子育てにかかる大きな経済的負担をできないと思うから、第2子出産だけでなく、かなりの人が第1子あるいは結婚すら諦める事態が続いている。それによって生じた少子化は、日本の相当な地域を消滅していく運命にさらしている。そして、そこで生じている超高齢化は、お年寄りの暮らしに先の見えない不安をもたらしている。

 また、子どもの幸せという個人の権利に着目すれば、親の貧困という子どもの責任ではない理由により、人として健全に育つことが難しい子どもたちが確実に増えている。そして、この事態が解消される見通しはない。国会は4年前、子どもの貧困対策法を成立させたが、具体策はない。子ども・子育て制度にかけるお金を用意できていないのである。

 日本がヨーロッパ先進諸国のように子ども・子育て制度にお金をかけないのは、依然として、子育ては基本的に親の責任という考え方が強いからである。しかし、その親の介護は、社会全体の責任という考え方に改めて、介護保険制度をつくったではないか。いずれ親たち高齢者を保険料を納めて支える立場になる子どもたちであるのに、自分が健全に育つ環境を親から与えられなくても、社会から放置されているのは、おかしくないか。子育てについても、親につくれない環境は社会全体でつくらないと、日本社会は持続できなくなっていくだろう。

 問題は、その環境づくりにかかるお金をどうするかである。社会保障と税の一体改革で、消費税率を8%にした時、子ども・子育てにも7千億円のお金が配分されて、待機児童の解消に向けた態勢整備などある程度の貢献はした。しかし、待機児童は新たに出現し、解決への道は遠い。女性も、全く当然のことながら、男性と同等に(ただし人間らしく)働き、経済的に自立したい時代である。 

 一方、子どもの立場からしても、幼いころから近所の子どもたちと交わって育つ環境がほしい。かつては、多くの兄弟姉妹という小社会の中で、人間として生きるのに必要な社会性を年齢に応じて身に付けていたのに、産児制限によりその機会を奪われたからである。

 そのために必要なお金は、日本社会の存続を望む以上、みんなで拠出して用意したい。

 それを用意する手法として提言されたのがこども保険で、子どもの幸せと日本の将来のために、国民が本能的に嫌がる負担を提言したことは、今どき責任ある政治姿勢だと評価したい。

■税と保険制度

 ただ、社会保険が経済弱者にとって不公平であることから、税でやれという反対がある。しかし、消費税なら不公平性の問題は消えないし、その消費税率10%へのアップすら、2回延期されている状況では、現実味のない主張だと言わざるをえない。

 もう一つの疑問は、保険制度になじむかというものである。子育ては介護と異なり、誰にでもありうること(リスク)ではないから、保険事故とはいえず、制度になじまないというのは、そのとおりであろう。しかし、子ども・子育てに用途を限定した費用を、社会連帯の考え方に立ち、社会保険の制度を借りて拠出する仕組みを新設することは、憲法違反でも何でもなく、国会の議決でできることである。その際どの社会保険に上乗せするかは、技術的な視点で決めればよい。

 大切なのは、その保険を設けたことにより、税収入による子ども関係費用を減らしてはならないということである。こども保険による資金は、幼児から社会に出るまでの学習(社会性、人間性を育成する交わりも重要な学習である)に要するランニングコスト(人件費など)の補充に用い、施設建設などに要する費用には用いないという原則を樹立しておくのがよいと思う。

 最後に、この制度はあくまで「子の最善の利益」の確保のために設計すべきであろう。親は政策の実施に伴う反射的利益を得られればよしと考えたい。

(信濃毎日「多思彩々」2017.8.20掲載)
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