政治・経済・社会
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JANJAN映像メッセージ 発言概要
堀田力の新しいふれあい社会づくり
(2005年11月1日撮影)
No.3 「地方からモデルをつくる」
●「『助けて』と言えない社会」とは?

  これは、私も活動をやりだしてびっくりしたのだが、いま圧倒的にボランティアは足りないのに、ある地域では、高齢者を支えるボランティアが集まっても、してもらう人がいない、受け手がいないという現象があちこちで発生した。やってもらいたい人はいっぱいいる。やっとボランティアをやるという人が出てきたのに、「じゃあボランティアをお願いする」といえない。「それは恥」「人から助けられるのは屈辱」というのだ。自立を促すのはいいが、自助の方ばかりで、自分でやれといい、助け合いまでが恥であるという。助け合いを否定するところまでもう進んでいる。これも経済社会の論理だ。自分でかせげという論理ばかりが浸透してしまっている。やれることはちゃんと自分でやることは大事だが、やれないことはお互いに助けたり、助けられたりして、生きていける範囲を広げることがそれぞれの幸せにつながるのだ。
  ちょっと子ども預かってくれれば行きたかった音楽会に行ける。子育て中の人だって、いろんなことができるわけだ。それを一切そういうことをしない、頼むのは「あつかましい」ということになると、これでは、子育て中のお母さんは悲惨だ。どの社会でもずっとそれでやってきたのだ。たいていのことはお互いさまで助け合ってやってきた。それが壊れてしまった。何万年、1万年の単位でみれば、今は非常に異常な一期間だと思う。助け合いが乏しくなり、共助が消えてしまっている。資本主義はなにも共助を消す仕組みは全然持っていない。あれは経済のレベルでの競争の話だ。土台の違う世界のことだ。無償財の世界がしっかりあればそんなことにならない。

●「無償財」とは?

  人間社会は、稼ぐことはもちろん大事なのだが、生きていく上で、こどもをつくるのはお金を出してつくるのではない、愛情があって、協力があって、こどもをつくる。夫婦や社会の協力があって子どもは育つ。これはタダでやっている。そこから始まって家庭内のいろんなサービスも食事することでもタダだ。いわば愛情だ。親が子どもを育てるのにコンサルタントの料金なんかとらない。近所のつきあいもタダ。宗教もお賽銭はあるが、基本的にお金の取引はしない。政治だって、あの人を政治家にしようということまではタダだ、その人が大臣や国会議員までいけば給料をもらうが、そうでないところはタダだ。リーダーを選ぶのもタダ。ボランティアも基本的にタダだ。助け合い、共助の世界はタダだ。そういう世界があって、そこから生きていくモノがいるから、生産があり経済があり、統括する政治があるという構造なのだが、まず、経済学から勉強を始め、政治学へといく。タダのところの社会的意味とか、力とか、そういうものを分析し、理論的に位置づける学問がないし、だから目がいかない、政策にならない、視野からはずれてしまう。
  (ボランティアを支える)法制度は全然遅れている。法制度はボランティアがある前に統治の仕組みとして完成したから、タダでやるのはなにか悪い魂胆があるに違いないという前提のもとに法律がつくられた。ボランティアは入ろうとしたらはじき飛ばされる。すごく活動を疎外されている。法律だから、親子の助け合いなど、無償財は認めているが、それを義務にしている。兄弟姉妹の助け合いなどだ。これまた無償財の本質を理解していない。
  米国は、早くからあなたがたがやれることはあなたがでという精神できている。ボランティア振興法という、いろんなボランティア団体やNPO団体を支援する法律をつくっているし、補助金の法律もある。ボランティアにもある程度、謝礼がいくけれども、謝礼を認めるボランティア法制度ができている。きちんと法制度があって仕組みができている。NPOなど、そういう団体は一枚の紙を出すだけで寄付金については免税措置を簡単にとれる。日本は5、6センチも紙を出してもなかなかだ。

●公益法人改革の取り組みについて

  公益法人は基本の骨格についての議論が終わって立法化に入っている。今年びっくりするほど大前進したのは、公益法人になれば寄付金は全部免税措置にしたことだ。従来の財務省では考えられない大きな前進だ。あと税制問題などもいろいろあるが、まあまあこれがあるから70点くらいは合格といってよい。
  いままで締め付けていた。これを各省庁からはずして第三者機関がどれだけ自由にがんばってやるか、米国のように自由にさせて、その代わりおかしいところはぴしっとやれるか。いまひとつは、天下りの官製公益法人が割り込んでくるから、これをいかに排除するか。新しくできる第三者機関の役割は大きい。

●官僚主導の予算編成の限界は?

  窮極的には予算の編成過程での公開だ。これは北川さん(元知事)が三重県でやりだして、こんどは佐賀の知事が、編成過程からだけでなく課の要求段階から公開することした。これで変わったそうだ。公開しながら編成していく。利益団体、利権団体が一切動かなくなってしまった。全部見えているわけだから。県単位ではそれができている。国単位でもそれができないことはない。(現状は)編成過程を全部非公開にしているから財務省の仕切りたい放題だ。過程でどこが何を要求してどう削られたか全然見えない。議員にも見えない。これを各省庁が要求を出すレベルから公開していけば、マスコミだって言うだろう。米国の場合は官邸(ホワイトハウス)がやるが、各省庁の要求があって、ロビイストが各省庁の要求の段階から動くからかなり情報が出る。予算案についてもどんどん議員が修正案を出す。日本は絶対に修正案を出させない。

●市民社会が対抗力をつけるには?

  まず情報公開だ。情報公開したら必ず言う市民が出てくる。日本人のレベルは高いから。従来は批判、あら探しが多かったが、このごろは提案型になってきている。提案を聞く、市民を参加させて使う。これは税金、公務員の節約になる。そういう方向で声を生かすかという姿勢をリーダーが持つかどうかで変わってくる。いい首長のところはどんどん市民が参加して、相当なお金をかけてもやれないことを安いお金でやっている。地方にもっともっと権限をおろしていけばもっと変わっていく。介護保険はその点でよかった。地方の良いモデルをどんどん広げるということが大事だ。
  国や識者はすぐ公平というが、変革のときには公平というのは最大の敵だ。国がやる公平は、最低レベルでみんな合わせる、それより良いサービスを切り落とすということだから進歩がない。介護保険のように市区町村にまかせると、いい首長を選んだところは、安くていいサービスを提供していく。そこをまねするという方向で、時には行き過ぎもあるが、段々と飛び出たところに向けて、全体がやがてレベルアップしていく。上げないと落ちるようになる。上がる仕組みが仕組まれている。それは不公平だと今騒いでいる。やらない首長を選んだところは伸びないだけだ。国や県が公平にやろうとしたらみんながやれるところ、低いところに合わせるに決まっている。
  いったん低いところに合わせたらそれ以上進まない…。ここが早くわかってほしいという願いですよね。

(インタビュアー(文責)/ジャーナリスト・元朝日新聞論説委員 大和 修)
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 [日付は更新日]
2005年11月21日 No.2 「助け合いのネットワークを」
2005年11月8日 No.1 「小泉改革への注文」
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