1990年代、ふれあい、助け合いの活動は、まだまだ一般的ではなかった。だから、その活動を始めるには、勇気が要ったが、同時に、しびれるような充実感、高揚感があった。
2000年代に入り、状況は進歩し、かつ、複雑になつた。
ふれあい、助け合いの活動は多様な形で行われるようになり、さわやか福祉財団やインストラクターの働きかけを待たずとも、その地域地域のニーズに応じて、多彩な団体が起ち上がるようになった。
当初、主として家事援助を行う有償ボランティア団体という形で発足した私たちの仲間も、さまざまな形態の活動を併せ行うように発展してきている。たとえば、介護保険の枠内サービス、移送サービス、ミニデイサービス、配食サービス、居場所における交流、サービス提供者同士の交流、子育て・子育ち支援、学習活動、時間通貨による近隣助け合い活動、行政などへの提言、行政からの受託協働事業などである。
そして、社会は、多様なインフォーマルサービスが、それぞれ個別に提供されるのではなく、介護、医療、教育その他関連分野におけるフォーマルサービスとも連携して、個々の利用者のニーズに応じ、機動的に提供されることを求める段階に入っている。理念を究極にまで高め、個々の人の尊厳を支えることを目的とした以上、そうならざるを得ないのである。
私たちが、ブロック化を進め、地域包括サービスを提供するためのネットワーク推進活動を展開することにした背景は、以上に述べた通りである。そして、このことをしつこく解説する理由は、その活動が、これまで行ってきた団体起ち上げの活動よりもはるかに複雑であり、強い意思を持って取り組まないと進展しないからである。
インフォーマルサービスを含む地域包括サービス体制を創るためには、まず地域におけるさまざまなフォーマルサービス提供の実情を把握しなければならない。そして、利用者にとって何が足りないかを知る必要がある。その足りないサービスが提供されるように働きかけながら、存在する各種のサービスのネットワークをつくる作業をする。
それらの作業は、団体起ち上げよりもっと手のかかる作業であり、行政や医師会、各種団体やその協議会などに食い込み、説得してネットワーク化の方向に動かさなければならない。
しかも、ネットワークが出来上がっても、推進者としての達成感や人々の評価は、団体起ち上げの場合よりも、ずっと低い。
思えば、ため息の出るような作業である。しかし、時代は、それらを求めている。人々の求める幸せが、そこまで高度になったからである。
完璧な仕上がりはないとしても、私たちも、時代の進展に応じ、その厳しい作業に取り組むほかはないであろう。社会的意義のある活動をし続けたいならば。
必ず、同志は現れる。行政、医療、政治、企業など、これまであまり付き合ってこなかった分野からも。そのことを信じて挑戦しよう。
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