更新日:2006年5月9日 |
福祉損なう業界保護 |
|
日本では、病院や一定の福祉施設、学校などの経営は、株式会社が行うことはできない。そういう原則になっている。米国人は不思議がるが、日本の考え方は、露骨にいえば、そういう聖なる職業に、儲け主義の経営者が入ると職が汚され、患者や学生、生徒が食いものにされるということである。この分野では、非営利ということが神聖視されている。
ところが、これと逆に、営利事業者が神聖視され、非営利の事業はその命運を営利事業者に握られている分野もある。たとえば、タクシー業である。
自宅やグループホームなどで暮らす高齢者や障害者にとっての大きな問題は、通院である。身体が不自由だとタクシーを利用するほかないが、不便だったり費用がかさんだりで、誰もが利用できるわけではない。そういう人たちのために、助け合いのボランティア団体やNPOが、仲間の自家用車で送り迎えや付き添いをするのだが、ガソリン代までボランティア負担では、乗せてもらうほうも頼みづらい。通院が続いたりすると、なおさらである。そこで、実費程度の負担をしてもらうことにすると、頼みやすくなって、助け合いの活動がスムーズに、継続して行われることになる。何百というNPO団体が、全国各地で、このような活動を展開している。
しかし、タクシー業者からみると、これはめざわりな活動である。そこで、タクシー業界の支援者である国土交通省は、道路運送法を改正し、地元のタクシー業者が合意しなければ、NPOは、実費による助け合いの送迎を行えないことを明確にしようとしている。白タクとして取り締まるというわけである。
この改正法案は、私たち助け合いの活動をしている者の反対などおかまいなく衆院を通過したが、この制度ができると、ボランティアなど営利を目的としない人による助け合いの移送事業は、地元のタクシー業者に牛耳られることになる。
なぜ営利事業者の意向がそこまで尊重されるのか。身体的な理由や経済的な理由でタクシーを利用できない高齢者や障害者を助ける活動を、営利事業者の思惑で抑制する理由は何か。合理的な理由があるとは思えない。
私は、医療や一定の福祉施設、教育などの分野で、絶対的に営利事業の参入を認めない政策は国民の利益にそぐわないと思う一方、移送の分野で、営利事業者に事実上決定権を与えるような制度をとるのも、国民の利益を損なうと思っている。
医療にせよ福祉にせよ教育にせよ、当然市場原理になじむ顧客や事業が存する。それらは営利事業に委ねた方が、サービスの質、量が向上し、顧客も満足する。
逆に、車による移送事業を、対象者のいかんを問わず、すべて営利事業に優先的に委ねるという政策は、市場を利用できない人々に決定的に不幸をもたらす。
そんなことを国が行ってよいわけがない。 |
(神奈川新聞「辛口時評」2006年5月1日掲載) |
|