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提言 教育
更新日:2007年2月20日
つめこみ教育がつくり出す人間
  安倍内閣が今国会で前面に押し出しているテーマが、「教育再生」である。
  自分の思うように行動しない子どもたちを見るたび、「何とかならんのか」と思う大人が多いから、教育再生というテーマには、関心が集まる。
  そして、「子どもたちにはしっかり規範を教え、もっと勉強させて学力をつけます」と言われると、「いいですね。ついでに、おかしな先生やいじめる子は、はじき出してね」とエールが起きる。
  ちょっと待ってほしい。
  毎年1月に行われ、問題と解答が新聞にも載るセンター試験を、やってみたことがあるだろうか。現代国語くらいは何とかなるが、問題の量が多くて、時間内にはとても無理である。現代社会や歴史などでも、とても合格点は取れない。「私は、大学に入る資格すらないのか」と落胆する。それにしても、藤原広嗣、山崎闇斎、植木枝盛(日本史B)、カブラル、ナスル朝、安史の乱、ジュンガル(世界史B)などを知らないと、大学人にすらなれないのだろうか。
  そういう知識を詰め込もうとすれば、授業時間は無限に必要となるが、人の集中力には限界がある。現状でも、7時限目の授業は、普通の学校では、授業として成立していない。大人だって、集中して人の話が聞けるのは1コマ1.5時間、それを3コマも聞けば、ヘトヘトになるだろう。
  戦後、西欧に追いつけ追い越せの時代に、そういう詰め込み教育を推進してきた。あの頃は、少しでも名の通った大学に行けば、給料の高い会社へ行けて、人より幸せになるだろうと思っていた。だから、子どもたちも精一杯詰め込んだ。物がない時代だったから、致し方ない。
  その結果、私たちの周りにどんな職業人がいるか。
  ご存知、指示待ち人間。課題に気付く気もないし、問題に取り組もうという意欲もない。親や先生から、こうしなさいと言われて、それをこなせばいい子とされた。だから、言われたことしかしない人間に育ったのである。
  責任回避人間。仕事を与えると、ルーティーンの仕事なら引き受けるが、少し新しい仕事だと腰が引ける。やり方を考える能力がないからである。そして、その断わり方が、みごとである。自分が傷つかないように、ありとあらゆる屁理屈を持ち出す。仕事に失敗した時の言い訳も同じ。全部ヒトのせいで、自分は悪くない。子どもの頃、親に叱られそうになると、言い訳ばかりして逃れようとしていたのだろうなと思う。
  アラ捜し人間。会議などで、自分に関係しそうな話題だと、黙っている。責任が来そうだと、自分のセクションがどんなに忙しいか、強調する。ヒトの仕事となると、まっさきに手を挙げて質問するが、それが、全体としてみればどうでもよい数字の間違いだったり、説明不足だったりする。提言をさらによいものにしようというような発想は、皆無である。
  自己中心人間。部下に思いやりがなく、力のない上司を馬鹿にする。力のある上司にはすり寄るが、自分を取り立ててくれないと判ると、別の方に付く。
  どのタイプも学歴優秀で、理解力は高く、弁も立つが、この多様化の時代、そして、変革の時代には役に立たない。
  それらの人間は、すべて、高度成長時代の一律詰め込み教育と偏差値競争が生み出した。
  もう、そういう人間はいらない。価値観が多様化した少子化社会。一人ひとりの思いを大切にして、それぞれに異なる能力を思い切り伸ばし、多様な分野でそれを人のために役立てる社会。そして、だれもが幸せで、いきいきとしている社会。そういう社会をめざして、教育も大転換をしなければ、その再生はないのである。
 
(電気新聞 時評「ウエーブ」2007年2月14日掲載)
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2007年2月9日 教育再生―子どもの人間力育成を
2007年1月24日 子どもがのびのびと育つ教育を
2006年10月5日 新米教師のひと言
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