更新日:2007年2月9日 |
教育再生―子どもの人間力育成を |
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安倍総理が目玉にする「教育再生」で、どんな子どもが育つだろうか。
授業時間が10%増え、教科書も厚くされて学力競争を強いられ、規範をたたき込まれ、たまりかねていじめに走ったら出席停止。こわい先生が全員をにらみつけ「行儀よくお勉強をしろ」と叫び、言うことをきかない子をはじき出すというイメージである。
そういう管理教育を広げてきたために、多くの子どもがついていけなくて無気力になり、ストレスによるいじめ、不登校、残虐な非行などが増えたのではなかったか。
それが、子どもの心を知らないおやじの発想に止まっていれば、母親たちの協力で是正していくこともできる。ところが、多くの母親たちも、安倍内閣の「教育再生」に賛成している気配がある。
気持ちを要約すると、「子どもがどうにもならないわ。学校でしっかり教えてよ。私たちはもっと勉強したわよ」ということのようなのである。
心配な気持ちはわかる。しかし、あなたの子どもをよく見てほしい。いきいきと学校にとび出して行きますか。楽しそうに勉強に取り組んでいますか。お友達ところげまわって遊んでいますか。
そして、想像してほしい。中学に入って、ある日親の言うことを聞かなくなり、不登校を叱(しか)ると、夜、突然寝ているあなたの首を絞めたりするおそれはありませんか。
みんなが、まさかと思っている。そういうことが起きた子の親たちも、そう思っていた。起きてしまってからも、わけがわからないままに、おびえ、苦しんでいる。
原因は、子どもの元気の素(もと)がすり切れてしまったことにある。意味がわからず、覚え切れないことを毎日詰め込まれ、親や教師の期待に応えようと必死に覚えたが、ついに力尽きて「もうどうでもいい。こんな辛(つら)いのは、いや」と切れてしまう。そして、無気力、反抗、せつな的、あらゆる価値の否定、拒否という暗闇の世界に(お)堕ちていく。実は、大半の子がその予備軍だと言ってよい。
子どもたちをその世界に追い込んだ元凶は、知識偏重の価値観と教育である。
これを正し、子どもたちがのびのび、いきいきと生きる社会にするには、安倍内閣と正反対の教育をすればよい。
学力の高いエリートを育てる教育でなく、すべての子どもたちの、それぞれに違う能力を、それぞれに思いっきり伸ばす教育である。それが、少子化時代、多様化する社会における教育である。
それにより、障害を抱える子を含め、どの子もいきいきと楽しく生きることができる。
そのために、教育では「生きる意欲(自助の意欲)と助け合うやさしい気持ち(共助の精神)」、つまり人間力を持った子どもを育てることを、第一の目的とする。知識を含めた人間力を伸ばす、総合的な学習の時間を中核にするのである。
知識教科は、子どもの興味に応じ、習熟度別のクラスを選択できることとする。要するに、面白がる子には、いくらでも教える仕組みにするのである。ただし、絶対に差別しない人間観は、しっかり身に付けさせる。
小山内美江子さん、牟田悌三さんらと行った提言を見て頂ければ幸甚である。
(http://www.sawayakazaidan.or.jp/news/2007/20070124_kyouiku.html) |
(2月配信 ―共同通信社配信) |
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