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提言 教育
更新日:2005年12月6日
「発見の喜び」へ導く

 自慢話のようで恐縮だが、私が大学生時代に家庭教師として教えた相手から、感謝された教え方が、二つある。
 一つは英語。これは商社マンになった教え子が、「あの時の経験は、いまの仕事にすごく役に立っていますよ」と言った。
 かなりの長文を、字引きを引かずに読ませる。その際、分からない単語に下線を引く。そして、その単語を含む文章の構文から、それが名詞か動詞かなど、品詞を推理する。もう一度全文を読みながら、文意をつかみ、それをもとにわからない単語の意味を推理する。そういう作業をなるべく早く行う。
 特別な教え方でも何でもないが、彼は分からない単語があっても、文章の大意が分かってくるというのが気に入り、そこから推理するのも面白くて、飽きずにいろいろな文章に挑戦した。
 もう一つは幾何で、これは自営業者になった教え子が、「あの補助線を探し出す推理が、今でも商売で生きてますよ」と言った。
 私は、教え子が真剣に取り組むものだから、補助線を探す証明問題をたくさん渡して、ほったらかしにしていた。楽な教え方をして、長く喜ばれているのだから、まる儲けである。
 何を言いたいかというと、やっぱり自分の頭で考え、推理するのは楽しいということである。多くのゲームが、この楽しさで成り立っている。
 新聞を読む楽しさも、ここにあるように思う。単に起きた出来事を知るだけならテレビの方がてっとり早い。
 新聞のよいところは、こちらのペースで情報をこなせるところにある。だから、なぜだろうとひっかかった時、考えて納得する答えが見つかると、その記事が血や肉になっていく。
 テレビにもニュース解説や背景の報道があるが、自分のペースでは考えさせてくれない。
 私は、新聞を読む時間が長くて、休日だと1紙を読み終えるのに3時間以上かかったりする。記事を読んでいる途中で、「なぜだろう」などと考え込んでいる時間が長いのだ。
 自分の頭から引き出せるいろんな情報を使いながら、「そうか、こう考えれば納得がいく」となった時は、うきうきする。補助線を発見した喜び、或いはわからない単語の意味をつかんだ喜びに共通するかも知れない。
 子どもたちが新聞記事に惹かれるとすれば、そういう喜びをくれる記事に出会った時かも知れない。それには、教師が、子どもたちの心をとらえるような「なぜ」を記事の中から提起することも求められよう。
 また、子ども向けの記事で、問いを起こし、答えの選択肢をいくつか示して考えさせるのもよいだろう。考える楽しさが、子どもを惹きつける決め手のように思うのである。

(毎日新聞掲載/2005年11月30日)
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