政治・経済・社会
(財)さわやか福祉財団ホームページへ
 
提言 政治・経済・社会
更新日:2005年10月27日

堀田力・講演録
「勤労者マルチライフ支援事業のシステムづくりに向けて」
(10月7日(金) 勤労者マルチライフ支援事業「全国プロジェクトマネージャー連絡会議」於・芝浦グランパーク(東京・田町)にて)

●はじめに
 
勤労者マルチライフ支援事業を推進している立場から、なぜこの事業をやるのか、その原点を踏まえこれからどう展開すればいいのかということを一緒に考えたいと思います。
  日本社会は何年も前から転換期に入っておりながら、いろいろな局面で転換を十分果たすことができず、未だにもがいている状況です。そんな中で、社会の一番のベースを構成する勤労者の方々についても、働き方、生き方、地域とのつながり方、家族とのつながり方等々について、これまでの古い日本社会におけるあり方を変えていく必要に迫られています。古い衣を捨てて、時代に適応した働き方、生き方を求め、その一番の中核をなす部分を皆で変えていこうという運動が、「勤労者マルチライフ支援事業」であると私は考えています。
  この事業の意義については、皆様方それぞれに思いがあると思いますが、勤労者の立場、経営者の立場、そして社会の立場に立ってもう一度考え直してみたいと思います。

●勤労者の立場から見た勤労者マルチライフ支援事業の意味 
〜激動・流動の時代の中で〜
 
かつて、日本社会が高度成長の一方、いわば「日本株式会社方式」といわれた時には、これと思う会社に就職して定年までずっと勤め、年功序列の中で大過なく仕事をこなして、定年で退職金をもらい、後は余生を送るというのが勤労者の働き方のモデルだという認識がありました。そして、その働く人を家族が支え、働きやすいようにしていくのだと。家庭や子育ては妻任せ、自分は働き稼ぐことに集中する、それによって経済が発展して伸びて行くのだというのが標準的な考え方でした。日本の法律も、配偶者控除であるとか、税制や退職金の制度とか、法制全体もそんなモデルを頭に描いてつくられていました。しかし、そうしたモデルはもはや通用せず、会社はいつ倒産するかもわからない。あるいは倒産しなくても今までやっていた事業が社会に合わなくなって新しい事業に転換しなくてはならないかもしれない。一つの会社に就職して大過なくやっていれば、一生自分と家族が過ごせるという保障は全くない、そういう激動・流動の時代に入ってきたわけです。
  激動の時代では、大きな会社だから倒産しないだろうと思っていてもいつ倒産するかもわかりません。官庁だっていつまでその官庁が保つかわからない。下手をしたら地方に移されるかもわからない。そういう保障のない、自分で生き方を選び取っていかなくてはならない時代に入り、その一番大きな兆候が山一(證券)の倒産であったと思います。倒産することはないだろう、と思っていた大きな会社が倒産したその時、どんな現象がおこったのか。倒産した会社で働いていた人たちは再就職しなくてはなりませんが、この再就職のあり方を見ていて明暗が非常にはっきり分かれました。
  多くの人は再就職先が気にくわない。ここも、あそこも斡旋されたところが気にくわなくて、その繰り返しで更に条件が悪く、更に気にくわなくなる。最後になって、新しい就職先を受け入れたけれども、今度は奥さんの方が、「今までは山一の部長ということで私はPTAでもどこでも胸を張ってやってきたのに、名も知らない会社のそんなポストで、私はやっていられません、帰らせていただきます」と、離婚される。そんな一家崩壊という例も少なくなかったのです。

〜どんな状況になっても自分らしく生きていく〜新しい時代に「自分を持つ」ということ

 しかし、そうした中で幸せに転職した人たちもいる。それはどんな人たちでしょうか。会社名や肩書きにこだわるのではなく、何よりも仕事が好きである、自分の生き方はこう、仕事はこう楽しんで、その仕事に自分の能力を生かしてやっていきたい、という人たち。たとえば、自分は営業、経済状況を学び、顧客にその情報を伝え、顧客が選び、そして顧客が生活を築いていく、それを助ける仕事が自分は好きである。こんなふうに、自分を生かしながら、前向きに仕事に取り組んできた人たちは、それを社会に役立てたいという意識を持っており、当然に地域ともつながりがあります。この人たちは別に山一が倒れても、それは倒れない方がいいに違いありませんが、倒れても困らない。給料が3分の2に減っても、中小企業で名前が知られていなくても、場合によっては遠い単身赴任であっても、自分の能力を生かしてやれるところなら、私は行きますと、喜んで受ける。そして、そういう方の配偶者は夫の働き方がわかっていますから、あなたが、自分の好きなように張り切って仕事をしてくれるなら、給料が3分の2でも構わない、子育てでまだお金が足りないなら私がパートで働きに出ましょう、そして一緒に子育てしましょうと、家庭を一緒に築いて行こうとします。こういった方々はそれぞれが自分の生き方の原点を持っていますから、状況が変化しても強いのです。
  その後も注意しながらフォローしていましたが、やはり雪印の倒産の時にも同じような現象が起き、あの倒産の中でも新しい環境に対応できた人たちがたくさんいます。ボランティアの世界に入ってきた方、NPOの世界に入ってきた方は、もう、びっくりしています。こんなに楽しい世界があるのか、と。私から見ると、NPOにもいろいろあるんじゃないかとか、ハラの中では思うこともありますが、しかしもちろん楽しいところもたくさんあります。それは自分の思いを生かして自分の思うことをやれるという部分です。給料はたとえ半分に減っても、自分を生かせるところが楽しい、こんな人生があるのか、と言っている雪印の退職者がおられましたけれど、やはり激動の時代に、何が起こるかわからない、その中で、それに対応してどんな状況になっても自分らしく生きていく。家族もそれを理解し、お互いに支え合う。そういう生き方をするには「自分を持つこと」が大切であろうと思います。働いていて自分がない、会社内のポストの維持、出世だけを考えていると、これは基が無くなれば全てが無くなる。会社が無くなるということがほとんど考えられない、みんなで成長する時代にはそれで良かったのだが、そういう保障が全く無くなったこの新しい時代には、「自分を持つ」ということが、まず自分と家族のための幸せをどんな状況に応じても築いていけるために必要であると思います。

〜労働者というのは労働している時だけが大切なのではない〜

 もう何年か前に、1998年でしたが、イギリスにレッツ(LETS)という地域通貨の取り組みを見に行ったことがあります。イギリスのマンチェスターという町で地域通貨をやっているグループを訪問した時、その会の皆さんがちょうど集まってくれてバーのようなところで皆が飲んでいました。しょっちゅう顔を合わせて飲むことが、あるいは飲まなくてもいいのですが、顔を合わせて話すことが大事なんですね。人間同士のつながりですから。いろいろな、白人、エスニックの人たち、子ども、おじいさん、おばあさん、太った人、やせた人、いろいろな人がいて、それぞれが楽しげに話していました。
  そこに区の職員の人が来ていました。地域通貨ですからお互いの助け合いの会で、私的な会の人たちが集まって一杯飲んでいるところに区の役人が来ている。これは目立ちました。やっぱりイギリスですからネクタイをしています。他の人たちはネクタイをしていない。彼一人がネクタイをしてきちんとしたスーツを着ていているので目立ちまして、尋ねたところ「私は区の役人で、私はやっているわけではない」と。では何故ここの会に出てきているのかと聞きましたら、区がこの地域通貨の集まりを支援しているからだと。その支援内容は、場所や電話の提供、若干のお金、そして陰でいろいろ紹介したりして活動が広がるようにすることだという話でした。地域の人たちが、言ってみれば勝手にやっていることに対して何故それが広がるように行政の仕事として応援しているのか、これに対する答えの中で、私が「おやっ」と思ったのは、その理由の一つとして「これは失業対策です」と、彼が言ったことです。これは助け合いですから、別にお金が稼げるわけではない、何でこれが失業対策なのでしょうか。
  その頃1998年当時、英国では失業率が10%までにはなっていませんでしたが、相当に高い水準にありました。失業者がたくさんいる、しかし、意欲はあってもなかなか職が見つからない。あっちもこっちもはねられしていると、ああ、自分の能力はやっぱり認められない、ダメだ、先が見えない。そういう状況になってくると焦りますし、自信を失ってきます。そのうちにヤケになって働く意欲がなくなってくる。下手をすると酒を飲んだり、ギャンブルに走る人も中には出てきます。そうすると、本人だけでなく、家族の破壊が起こる。それだけではなく、国全体があるいは行政全体としても人的素材が劣化していくことはマイナスなのだと。
  しかし、この助け合いの会に入ってやっていると、お金は儲からないけれど、例えば食事を作ってくれるとか、いろいろ人が助け合い、自分の能力を生かせる。自分の能力を生かし、人に喜んでもらいながら自分も人から助けてもらっていると、「ああ、自分はまだまだやれるんだ、人の役に立つんだ、自分にはまだいろいろな能力があるんだ」と、自信を失わずに、むしろ持ち続けることもできるし、それに社会は自分を見捨てていない、助けてくれる、そういう社会とのつながりにも自信が持てる。そうするとなかなか職が見つからなくても、その人間の能力がそのまま落ちずに、むしろ意欲が高まって生きていくことができる。家族も暗くならずにすむ。だから、行政にとっても人々のそういうエネルギーと能力を維持するということは非常に大事なことであり、そういうことは労働の基礎なのだという説明がありました。
  確かに労働者というのは労働している時だけが大切なのではなく、まず人間として自信と向上意欲を持ち、その仕事を愛し、積極的に取り組む、そういうベースのところができていないと労働の質というのは高まりません。失業している時にもそれを維持することは大切であるし、働いている時にも会社人間として言われたことを単にこなすだけの労働者ではなく、自分を持ち、自分の視点で取り組み、意欲的に仕事を発展させる、そういう能力を持つということ。これが一番大切なことだと思います。

〜「あなたが主人公」であること、 まず人間として自信をもち、向上意欲をもつこと〜

 それを培うのが、労働を離れた、ボランティアでもいい、NPO活動でもいい、やっぱり自分を自分の思うがままに生かす、そして社会とつながっている、そういう一つの生き方、これが原点になるであろうと思います。ですから、勤労者マルチライフというのは労働と関係がない、労働しない時間に何かボランティアをやることだ、という捉え方は違っているだろう、それは勤労者にとっては労働も含めて、その人の生き方の基本、主体的に自分が責任を持って生きていく、そして自分を高めていくというそうした生き方のベースをつくるものであろうと私は考えております。
  今まで勤めていた時には、会社の言うことを聞くことを、特に上の方の世代は仕込まれております。そう思っている人たちに「あなたが主人公」なんだということをぜひ自覚させてほしい。それが大きく地域も変えるし、本人も変えるし、家庭も変えるし、労働そのものを変えていくだろう。言われて働く姿勢から、自分で考えて、自分の意味をもって取り組む、そういうふうに労働を変えていくだろう。そしてそういう働き方が今の日本では求められているようになっている。そういう段階に入っていると思います。これが勤労者から見た「勤労者マルチライフ支援事業」の意義であります。

経営者の立場から見た勤労者マルチライフ支援事業の意味
〜勤マル事業は無料の社員研修〜
  会社にとって大事なのは、「自分の眼」 自分の生き方を持った人たち

 経営者から見れば、勤マル事業は無料の社員研修であろうと、私は見ています。この勤労者の方々がボランティア活動なり、地域活動なり、市民活動、社会の活動をやることによって、その方の人間的な進歩は著しく、あっという間に変わります。これはもうNPOの方々が十分、身にしみて感じていることと思います。
  私どもの財団も、毎年、国あるいは地方のいろいろな自治体から、1年あるいは2年間、10名近い出向者を迎え入れています。皆さん大変優秀な方々ですけれども、やっぱり研修を始めた当初は戸惑います。あなたが自分で考えて何をするか決めてくださいという話ですから、初めは戸惑っていますが、そのうち自分のやりたいことが見つかって自分で企画して自分で説得して事業を始めると、あっという間に視野が広がり、意欲、人間的な広がりが生まれる。その成長というものには本当に目を見張るものがあります。もともと優秀な方々が、今まで見ていなかった市民を見て、その市民を生かして共にやるということの意義に目覚めた時のその成長ぶりというのは本当に素晴らしい。全員とはいいません。時々はそこまで行かない方もいます。これはそれまでの教育があまりに強烈であって、この刷り込みの枠から逃れられなかった方が若干名、残念ながら1年取り組んでもダメな方もいますが、多数の方はそこで更に新しい段階に入られて、元の県庁とか、いろいろお帰りになってからの活躍がまた素晴らしい。
  私はそういうボランティア活動をやるというのは全く新しい段階での新しい生き方の開拓であり、それが彼や彼女らの目(視野)を広げことになったと思います。そのようにして、もちろん自分の原点を得て帰られて、仕事につく。そうすると仕事のやり方がまったく変わってきます。
  私も法務省の人事課長を3年半やりまして、働き方をどうすればいいか、いろいろ取り組んできましたけれども、普通、ピラミッド型の組織に入りますと、与えられた仕事をまずこなすということ、それから意欲的な人は更にそれに付加価値を付けて実績を示して出世して行くということ、これが大きな仕事の動機になります。それは、頑張る動機になりますから、いい動機なのですが、その際に人との競争、同期との競争に勝つということに意識があまりに強いと上司の評価、これが自分の仕事を頑張る唯一絶対のインセンティブになってきます。そうして、常に上はどう考えているのか、どうすれば上から評価されるか、これが仕事の基準になってきますと、危うい。上司といえどももちろん人間であって万全ではありません。100%間違いのない上司はいません。ところがその上の人の評価自体が基準になってしまうと、その人が気に入るような仕事になってしまいますから上が少し歪んでいたりすると、上の性質によって仕事に歪みが出てきます。歪みが出てくると歪みが出た原因は上の人にあるのですが、その上の人は自分のせいだとは思いません。「おまえの仕事ぶりが悪いからこんなまずいところが出たのだ」と。そして、またそういうことになると、必死で上の意向を聞いてそれに合わせて行こうとして、また間違えてしまう。こういう事態がピラミッド型の組織では起こりがちです。これはとても危ないことです。
  その時に自分の視点、この仕事をどういうふうにすれば社会に役立つかという自分の視点をしっかり持っていると、時には上の意見に「いや、そうはおっしゃいますが、こういう点を考えていただくとそのやり方は違うのではないでしょうか」と、あるいは「こちらに重点を置くとおっしゃいますが、実は社会状況を考えるとこちらの方が大事ではないでしょうか」と。そういうことを言えるようになります。出世ばかり考えて、上の意向ばかり考えているとこういうことは言えません。そういう頭も、自分を持っていないと出てきません。それが全部正しいとは言いませんが、やっぱりそういうふうに考えてアドバイスしてくれる部下というのは上から見ても頼もしい。「ああ、それは気づかなかった、おまえ、なかなかいいな」と。
  かえってそういう人の方が出世するのです。それは出世した方がいいのです。それは結局、組織全体のために役だっている、会社なら会社全体のためにも、社会のためにも役立っていますから。ですから、ピラミッドの中で組織のことだけ、出世のことだけ考えている人たちよりも、実は会社にとっても大事なのは、自分を持って仕事を見ている人です。着眼点が正しい、いいことを思いつきます。そちらの方がむしろ結果においては出世するということがしばしばあります。そして自分で考えて仕事をしている人は楽しい。そういう人を会社の研修で養成することは難しい。会社の研修はだいたい知識を与えることと、上の言うことを聞け、という研修ですから。そういう自分の目をもった人間を育てるには外の組織、特に市民活動をやっているところに出す、これが一番手っ取り早い研修です。そして、そこでものを見る目を持ち、自分の生き方を持った人たちが帰って来ると、必ずそれ以前よりもずっと大きく成長して、会社にとっても大いに役立つ人間になるでしょう。
  私が勤マル事業は職員の無料研修であると、申し上げる意味はそういうことです。

●社会にとっての勤労者マルチライフ支援事業の意味
〜日本の未来を担う子どもたちをいかに健全に育てていくか〜
 
地域社会のコミュニティーの中に働いている人たちが入って来るということは、みんなが参加して地域社会をつくるために非常に重要です。日本のほとんどの地域社会は働いている人が入っていないために、OBと家におられる方々だけでつくり上げています。つくらないよりはましですが、やっぱり視点も違い、決してこれは万全とはいえません。やはりいろいろな人、全ての人が入ってこなくてはいけない。特に経済面で日本社会を支えている働く人たちが入ってきて、その人たちが地域社会の一つの輪になるということは地域社会の充実のためにどうしても必要ですし、特に子どもたちにとっては必要です。
  今の日本はいろいろな問題を抱えていますが、子どもたちが歪められているという背景の一つに偏差値・知識絶対といいますか、ともかく名を通ったいい大学に入ることが幸せになることだという考え方があります。そういう考え方がますます低年齢の方に及んでいっているために子どもたちが幼い頃から歪められています。これをいかに自分の気持ちを生かし、自分を大切にしながら大いなる好奇心を持って、知識を蓄え、行動し、自分の頭で考える、そういう子どもたちに育てていくのか、日本の未来を担う子どもたちをいかに健全に育てていくか、これも勤労者が力を注ぐべき、大いに一肌も二肌も三肌も脱いでほしい状況です。それが無いために子どもたちの歪みがなかなか治らない。
  それどころか家庭も夫婦の会話すら無いという、そういう状況になっております。これを正すのが私は勤マル事業であろうと考えております。

●結びに
日本社会の根底を変える事業〜自分の幸せ・そして地域社会、家庭の幸せを築こう〜
 
以上、三点、勤マル事業の意義を申し上げました。そういう重要な日本社会の根底を変える事業をしているのである、そういう情熱と強い意志をもって是非、この事業を推進していただきたい。これから大切なことは「体験」です。特に子どもとの体験を深めるような機会をどんどん提供してあげることによって、勤労者たちがまず、自分の幸せを築き、それによって、属しております会社も地域社会も家庭も素晴らしいものになるように皆で力を合わせてこの事業を進めて行きたいと願っています。

(2005年10月7日)
バックナンバー   一覧へ
 [日付は更新日]
2005年9月29日 公務員の削減
2005年9月29日 憲法9条の改正
2005年9月16日 選挙の感想
2005年9月16日 “助けて”と言える社会の復活
2005年9月16日 非営利法人税制のあり方
  このページの先頭へ
堀田ドットネット サイトマップ トップページへ