●最高顧問に就任
私は社会保険庁の最高顧問をしているのですが、今回の不祥事を例に、先を読むことと、責任の取り方について考えたいと思います。
私が最高顧問を頼まれたのは、社保庁が前回の大きな不祥事で、抜本的改革を迫られた〇四年七月です。当時の厚労省大塚次官の依頼でしたが、私は社保庁解体(国税庁等と一体化した歳入庁設置)論者だからとの理由で、お引き受けしませんでした。ところが後任の辻審議官から、「最後は歳入庁でもよいから、長官の相談役になってほしい」ということで最高顧問を引き受けました。ただし、無給、非公務員にしてほしいと申し出て、了承してもらいました。
●改革の道筋
民間から助っ人として長官に就かれた村瀬長官は、方向性も正しく、精力的に改革を進めました。怠惰を助長する労組との裏協定一〇五本を廃棄し、職員は昼休みや三時以降の市民相談業務もやるようになりました。そして〇五年春には、社保庁を三分割して年金を担当する部門(ねんきん事業機構)に、やる気の職員を抜擢する方向も決まりました。
私はそれ以降は安心して見守るだけだったので、今回の不祥事にはびっくり仰天で、「何ということをしてくれるんだ!」と、激しい怒りと失望感を味わいました。
●不祥事を予測できなかったか
その後、冷静になって、「なぜこの不祥事を予測できなかったのだろう」と考えました。
村瀬長官が職員に、「納付率を上げよ」と厳しく命じるのは、当然です。前回の不祥事の時、かつて八割だった納付率が六割に落ちているのに多くの人々が驚き、メディアも国会も、「納付率を上げて、不公平をなくせ」と大合唱をしました。村瀬長官は、その宿題を背負って長官になったのです。改革も、そのためのものでした。
もちろん職員は、納めるべき人に納めさせるため頑張りました。督促状の発行数は一七年度は一六年度の約十倍、納付実績は四倍以上になっています。
その一方で、所得がないなどから納付免除事由に当たるのに申請してこない人に、申請を勧める作業もしました。ところが、この作業の中で、手抜きをして勝手に申請があったことにしてしまう怠惰な職員が、あちこちに発生しました。社会保険事務所や局ぐるみでやるところまで出てきたのです。
今の段階で考えれば、それは納付率を上げる手っ取り早い方法ですから、この方法に走る者が出るのもありえないことではありません。しかし、私は、まさか公務員が法令に定める手続きをとばすようなことまではしないだろうと思い込んでいました。というか、そんなことすら、考えてもみなかったのです。
そういう不埒な方法を取る職員が、実は「国民に親切にやってあげる」という考え方になることも、十分ありうるのです。というのは、その方法は、免除された人にはよいことだし、ほとんどのケースはもともと免除される要件を備えている人だから、これを形式上免除にしても実害が生じるわけではないからです。私はそれを予測すべきでした。その予測をしていれば防ぎようもあったのに、思い至らず、長官にアドバイスできなかった点が、私の反省点です。
●責任の取り方
もう一つは、責任の取り方です。
私がゲスト出演している報道ステーションで、最高顧問であることを明かすと、いくつかのメールが来て、辞めよ、隠居せよなど、いろいろ言われました。もしこれが給料を貰い、得るところの多いポストなら辞めるのが当然の責任の取り方です。しかし、私の場合は、まったくのボランティアでやっているポストです。辞める方が汚名も着ず、ずっと有難い。村瀬長官の場合は有給でしょうが、頼まれてやむをえずやっている仕事だから、私と同じ心境でしょう。
しかし、ここは立て直しの目処が立つまで頑張るのが責任の取り方だと、私は腹を決めています。世間が許さないということで辞めることができれば最高だと思いますが、私の方から言い出すのは責任逃れになるから、私が“油断”した責任を取って、もう二年は頑張るしかないかと考えたのです。どう思われますか。
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