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つれづれタイム
更新日:2006年4月25日
「法廷絵師は見た!」(書評)(大橋伸一著 KKベストセラーズ)
  一年前、六六歳で急逝した著者が描いた四一の事件の被告人たちの絵は、二〇世紀末から二一世紀へと展開する時代の日本の混乱を、みごとに切り取った歴史的記録だといえよう。
  犯罪は、犯罪者の個性の表現であるとともに、その時代の特徴の極端な表現でもある。
  たとえば連続幼女誘拐殺人の宮崎勤や新潟少女監禁の佐藤宣行などは、個人の成長を閉塞させた日本社会の非寛容性の表れであるし、オウム真理教は、あふれる自由の中で迷える魂が寄る辺を誤った時に生じる危険性の象徴といえよう。
  そういう人々が社会のルールによって裁かれる時、どんな姿を見せるのか。それは、窮極の人間ドラマとして、誰しも我が眼で確認したいところであろう。著者は、そういう素直な市民の望みを、法廷画と印象のメモを残すことにより、かなえてくれた。四一の著名な裁判を市民の眼で確かめた点が歴史的記録だと思うのである。
  たとえば麻原彰晃。彼の無責任な態度は広く報道されているが、市民の眼で彼を見ると、どうか。「いい加減な詐欺師的な人間」というのは、これまでの報道でも伝わっているが、著者の眼には、「”ふり“をすること、自分を隠すことが生きるのに役立ったことがあり、これこそ自分をよく見せる便法だという確信」を持つようになった「小ずるい小心者」と映るのである。描かれた法廷画にも、著者のとらえ方が如実に表現されている。
  その弟子たちはどうか。林泰男――当然の報いだが、死刑を考えると、涙が出る。早川紀代秀――俺は早川を許さない。新實智光――若いんだからナ、生きたいだろうナ。土谷正実――もの凄い自信家だが、どこか哀しく、淋しかった、など。報道ではうかがえない被告人たちの人間性が、実にストレートに伝わってくる。そして著者は、「麻原は、こうして優秀な青年達を次々に毒牙にかけて死に追いやっているのだ」と怒っている。
  埼玉保険金殺人の八木茂は、「ワルは人間の屑だ」と切り捨てられ、外務省機密費詐欺の松尾克俊には、「七年で出てくる。そして生き続ける。代償は軽い!」と市民の思いがぶつけられ、スーパーフリー集団強姦の和田真一郎は、色白の弱々しい青年で、実におとなしくもの静かなのだが、「ものすごいワル」と断じている。
  一方で、音羽幼女殺害の山田みつ子には、「哀れで仕方がない」と同情を寄せ、受託収賄等の元自民党国会議員中島洋次郎には、「全てを失ってしまった人間の絶望感が滲み出ていて、涙が出た」と、後日の自殺を予知したようなメモを記している。
  絵を見せられないから、メモを紹介してきたが、絵には、それぞれのメモの内容がよく表れている。
  私自身は、何千人という数になる被疑者や被告人と相対し、その表情を見つめてきた。その人の崩れぶりはおおむね表情や態度に表れるが、時には「この善良そうな人がどうして?」と驚くような凶暴性を発揮していたり、その見かけを利用する、良心のカケラもない詐欺師もいるから、あまり上品さとか澄んだ眼とかいうのは信用しない。表情も、嘘をついてケロリという人たちがいるから、うのみには出来ない。さまざまな角度から問いをぶつけて、微妙な表情の変化から心の中をさぐる。正直に表情に表れる人もいる一方、表情までいつわれる人もいる。ただ一つ、すべての人に共通しているのは、心の底から改心して真実を語る時の、さわやかな顔だ。そういう顔に変わってほしくて、長らく検事をやってきたともいえる。
  著者が見た被告人たちの中にも、そういう表情の人がいたようである。意外かも知れないが、麻原の弟子、廣瀬健一と豊田亨である。二人とも、死刑判決を受けた。「死を受け入れ、悟りの中に生きている男たち。『従容として死に赴く』という言葉をあますところなく俺に実感させてくれたふたりの男。余りにも残酷だ。神があるなら、彼らを助けてください!」と、市民の眼は、邪悪を憎むものの、基本的には人に優しいのである。
(講談社「小説現代」本のエッセンス/2006年4月号掲載)
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2006年3月15日 酒で世の中の生き方を学ぶ
2005年9月29日 愛・地球博にて
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